スポーツと日本の教育制度

2018年6月 6日 (水)

悪質タックルと日本の教育制度

 平和&スポーツあれこれ

   こんばんわ!

お元気ですか!?

また、遅い時間になりました。

友人のSさんの会社の50周年祝賀会から事務所に戻って書いています。

ぼくは、

スポーツの平和創造機能を語り続ける

スポーツ弁護士のぶさん です。

NO.135

では、

最近のアメフトでの悪質タックルの関係で、

ぼくは、その本質について、

勝利至上主義と、

明治以降の教育制度の問題であると、テレビや文書で言ってきているのですが、

その内、教育制度の問題については、

ぼくの

平和学としてのスポーツ法入門民事法研究会

の14p以下に関連事項として、

次のようの記載しています。

平和学としてのスポーツ法入門

かなり長くなりますが、

14p以下の記載内容です。

 

スポーツと体育
 スポーツと体育は同じでしょうか、違うのでしょうか。

違うとすればどのように違うのでしょうか。

1.スポーツと体育
英語の辞書からこれを考えてみましょう。(新英英辞典 研究社)
① スポーツ(sport)

ⅰ an athletic game or outdoor amusement、such as baseball、golf、tennis、swimming、racing、hunting、fishing、etc。
ⅱ amusement
ⅲ fun
ⅳ outdoor exercise or recreation
などとされています。
② 体育
ⅰ Physical training(culture)、
ⅱ Physical Education(PE)
 ⅰは体育そのもの、

 ⅱは教科としての体育です。

2.体育と学校教育
① スポーツの定義についてぼくは、

「楽しみをもって、他人と競り合う刺激をもつ、一定のルールによる、心身の運動」と考えています。
② 体育は、

わが国では「健全な身体の発達を促し、運動能力や健康で安全な生活を営む能力を育成し、人間性を豊かにすることを目的とする教育。教科の名称でもある(広辞苑第5版)」とされています。

 即ち、教育の「知育・徳育・体育」のひとつとしての位置付けです。

要するに国語・英語・数学・理科・社会などと同じく、小中高での教育の一環として位置づけられています。

3.スポーツは欧米の概念

 スポーツは、欧米から輸入された概念です。

時期的には19世紀後半の徳川時代末期から明治初期に、欧米の軍人や商人らと共に入ってきました。

特に明治政府になってから、招聘された外国人によって、野球(ベースボール)、陸上競技、競泳、ボート、ラグビー、テニス、サッカー(フットボール)などがどんどん入ってきました。
 学制発布は1872(明治5)年で、教育の重要性を意識した明治政府のこの改革は、迅速で立派だったと思います。

そして、教育機関、とりわけ、大学・高等師範学校・旧制高校など高等教育機関などの若者を中心にスポーツが浸透し始めました。

珍しいものに好奇心を持つのは若者として当然のことで、しかもスポーツは、やってみれば楽しく面白いのですから、どんどんやらせればとも思います。

しかし、明治政府として、「楽しい遊び」をそのまま遊びとして放置することは出来ませんでした。
 それというのも、早急に近代国家を作り上げないと、欧米諸国の帝国主義的侵略に蚕食される可能性も十分あったからです。

富国強兵、殖産興業が急がなければなりませんでした。

特に富国強兵のためには、天皇の赤子として元気な成年男子・壮丁は絶対に必要でした。
 そこで、スポーツの本質的部分である、最も大切な「楽しい遊び」部分を棚上げにして、スポーツに国家目標をつけ、体を鍛えると共に精神の修養を行う道具としてスポーツを活かそうとしたのです。

そして、日本古来の武道的要素も取り入れながら、学校教育の中の体育として位置づけようとしたのです。
 要するに、政府は教育の重要性は十分認識しており、スポーツを知育・徳育と並ぶ体育の一部として位置づけ、臣民育成の学校教育の一環として学校体育=スポーツを推進しました。

運動会もその頃始まったとされています。

 スポーツは、基本が楽しみであり遊びですから、本来好きなときに始め、嫌になったら止めれば良いのです。

ところが、教育の中の体育となるとそうはいきません。

4.学校教育の問題点と

  体育(スポーツ)の特殊性

 この点で、2つのことを指摘しておきます。
 1つは、教育全般の問題です。教育は押し込むものではありません。

ぼくの理解では、学ぶとは、まねることを基本としつつ、幼い意見で議論などを戦わせながら、より良い、よりましな結論のために、各自の白いカンバスに、それぞれの色彩を付けてゆくのです。

技術の習得なども、何度も何度も失敗して得る場合の方が本物の技能になるのです。
 その間、子ども達は、各自の意識の互換性を前提に、行きつ戻りつ、また時には全く逆の発想などをしながら、徐々に各自の正しいと思う方向、技能の修得などに歩を進めるのです。
 そして、

教師は教育現場で、子ども達のそれら意見や未熟な議論を聞きながら、

また下手な技術を見ながら、ときどき触媒的に自身の意見を述べたりアドバイスや指導を行い、子ども達が自我や意見を形成したり技能を修得するのを助けるのです。
 その意味では、教育は民主主義における寛容性にも連なる、根気のいる大変な仕事なのです。

そして、子ども達に上から押し込むというより、子ども達各自の特性を「引き出す」のが教師の役目であり教育の本質だと思います。
 ところが、前記のとおり、明治の初期、わが国はそのような悠長な状態ではなかったのです。

西欧列強との関係で、子ども達に早く一定の知識や技能などを修得させることが必須でした。

そして、元気な青年を作ることも。
 そのため、子ども達に、結論的部分を促成的に与える、言葉をきつくいうと、押し込む詰め込むことが教育とされてきたと思われます。
 大日本帝国憲法(明治憲法)で、

その条文上「教育」の規定を置かず、天皇の勅令などによる家父長的な制度を採ったことも、それに輪をかけたと思われます。
 市民革命不在ともいわれ、一般的に私たち日本人が、発想や行動において、どうしても自主性・自発性に乏しいといわれるのは、教育におけるこのような沿革や時代背景があったと思います。
 この点、

日本語の言語としての特徴(結論が最後に出てくる)も関係するかも知れませんが、ぼくはそれよりもやはり明治以降の教育システムの問題の方が多いと思います。
 2つめは、体育(スポーツ)の場面での問題です。
 元気な青年の必要性から、教育の中の体育として、スポーツ的なものが授業の体育として採用されたのは間違いありません。そして体育授業は、動物としての基本的属性から、ほとんどの人が好きだったと思われます。
 ところが、今述べた教育での一般的背景を前提に、他方体育科目としての特殊性から、上命下服・上意下達の人間関係が他の科目以上に強く、上記傾向が一層進んだと思われます。

 まして戦時体制の一時期、軍人が学校に来て教練のような形で、特に体育(スポーツ)への介入・指導を行ったのでなおさらです。
 日本国憲法に替わり約70年、教育基本法、学校教育法、社会教育法、そして近時のスポーツ基本法などにより、状況はかなり変わったと信じたいところです。
 しかしスポーツ指導者などの話を聞くと、

わが国では現在でも、教師(指導者)のいうことは素直に聞き、与えられた練習メニューなどはきちんとこなすけれども、自主的・自発的な行為が苦手であったり、自身の意見をはっきりといわないとの傾向が、なお続いているように思います。
 そしてその点が、後述する体罰などの温床になっているようにも思います。

5.日本のアスリートと

  国際的リーダー
 明るいニュースとして、

この2016年10月、国際体操連盟(FIG)の会長に、日本の渡辺守成氏が選ばれました。大変うれしいことですが、

沢山(30以上も)あるオリンピック競技種目の内、

IF組織の会長としては卓球の荻村伊智朗氏以来、実に23年ぶりとのことです。
 もちろん、

会長になったから偉いと短絡的に考えるのも良くないのですが、

日本のアスリート出身者で、国際的リーダーとしてぐいぐい引っ張ってゆく人材が少ないのは、残念ながら事実です。

ぼくには、これもやはり上記日本的教育の結果のように思えてなりません。

6.大学のアンケート

 ぼくが担当する大学のアンケートでも、

高校まで体育の授業が楽しかったという学生が圧倒的に多いのですが、

ごく少数ですが体育が苦手で大嫌いで、仮病など何かと理由を付けて休んだり見学していたという学生もいます。

運動会の徒競走だけは、晒し者にされるようで絶対に嫌だったと書き込む学生もいます。
 いずれにしても、

欧米では楽しむを本来の意味とするスポーツですが、

日本では教育の中に取り込んだため、違った意味づけ、位置づけが与えられたのです。

 ぼくは、

これを日本における「スポーツの体育化」といっています。

この影響は、後に述べる「アメリカのスポーツ法と日本の契約社会」や

スポーツと弁護士「プロスポーツ選手の代理人」のところでも説明します。

<以上14~19p>

と書いています。

それでは、

今日の一曲  

アカシアの雨がやむとき

そうです、

西田佐知子

サンデーモーニング、関口宏さんの奥さんです。

大阪の出身だと思いますよ。

1960年安保闘争の頃の歌ですが、

もともと、反戦の歌ではないと思います。

でも、

ちょっと悲しい歌ですよね。

平和学としてのスポーツ法入門

(民事法研究会)より

今日は、上記のとおり14pから引用しました。

では

 今日も

最後まで読んでいただき、

本当にありがとうございました 

また、覗(のぞ)いてください。

詳しくは、

 2020年までに、

平和を愛する人必読の

平和学としてのスポーツ法入門

2017年 民事法研究会  2800円+税

を読んでください。

筆者としては、

まずコラムを読んでいただきたいです。

また、

スポーツ基本法のコンメンタール部分は飛ばしていただき、

最後に読んでいただくと良いと思います。

2018(平成30)年6月6日  

        (NO.135)

スポーツ弁護士のぶさん こと

弁護士辻口信良

太陽法律事務所

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