スポーツと平和

2018年12月31日 (月)

今年一番、小平奈緒・李相花

 スポーツ弁護士のぶさん

              です!

   こんにちは!

お元気ですか!?

2018(平成30)年も終わろうとしています。

寒波来襲の大晦日、

最終の12月31日ですが、

みなさんにとって、どのような一年だったでしょうか。

今年は、

清水寺貫主の今年の一文字が

「災」であったように、

災害の多い年でした。

大阪府茨木市に住むぼくも、

6月18日の大阪北部地震や、

台風21号でそれなりの被害が出ました。

阪神淡路や東日本の大震災・福島原発被災に比べれば、

もちろん、

大したことはないんですが・・・。     

それはそうとして、

年間の、

「平和とスポーツの関係」ニュースで、

ぼくは一番に、

以下に述べる韓国平昌冬季オリンピックでの

女子500㍍スピードスケート、

小平奈緒・李相花の勝負と友情を挙げます。

そして、それは、

ぼくに改めて

スポーツの平和創造機能

確信させる出来事でもありました。

 以下、大阪弁護士会の会報2018年5月号に載せてもらった記事です。

大変長くなりますが、

人間の平和に対する夢と希望、

それは実現する、との思いで読んでいただきたい思います。

平和&スポーツあれこれ

平昌オリンピックと

「スポーツの平和創造機能」

        …小平奈緒と李相花(イサンファ)…
                              憲法問題特別委員会委員

                                     辻口信良

 2018年2月、韓国平昌(ピョンチャン)で冬季オリンピックが開催されました。

アメリカのトランプ大統領による北への斬首作戦・爆撃の恫喝の下、

直前に北朝鮮が参加を表明し、一部南北統一チームが結成されるなど、

久しぶりに「スポーツと政治」が話題になりました。

 ヒトラーがベルリンオリンピックを政治利用したことは有名ですが、

今回はスポーツと平和について考えます。

 ぼくは、

短い期間でしたが事務所のメンバーと平昌オリンピックを観てきました。

1.印象に残るできごと

 「平和でなければスポーツはできない」とよく言われます。

殺戮し合っている中でスポーツはできませんし、

現に1896年に始まった近代オリンピックは、

2つの世界大戦で3回も中止になりました。

 因みに、その内の1回、1940年は東京での開催予定でした。従って、

この「平和でなければスポーツはできない」という言葉は、

もちろん正しいのですが、

ぼくはもう1つ、

「スポーツの平和創造機能」つまり、

スポーツには平和を創る力があることを強調したいのです。

 それを今回、平昌での2つのできごとで確信しました。 

紹介します。

(1)羽生結弦選手と韓国女性

 1つは、フィギュアスケートで優勝した羽生結弦選手が、

韓国で、

特に若い女性に大変人気だったことです。

 怪我から復帰してぶっつけ本番での66年ぶりの五輪2連覇、

これはすごい快挙です。

日本でテレビ観戦された皆さんも感動したでしょうが、

実は韓国での羽生人気もすごいのです。

 ぼくは、それを感じつつ、

以前日本のおばさまたちを虜にした

「冬のソナタ」に代表される韓流ブームを思い出していました。

 つまり、あの韓流ドラマで、日本の女性は、

韓国にも良い物語があり、良い男性がいると思ったのです。

 そんな両国の庶民同士は、戦争や国際紛争を望むのでしょうか。

(2)小平奈緒と李相花

 2つめは、女子スピードスケート500㍍優勝の小平が、

銀メダル韓国・李と抱き合い健闘をたたえ合った光景です。

 二つの国旗と美しい涙がそこにありました。

 李には、冬季オリンピック3連覇がかかっており、小平に負け、

もちろん李選手はとても悔しいはずですし、

韓国国民も勝敗が決まったその時点では、

特に日本人選手に負けたことで、がっかりしたと思います。

 しかし、

ご存じのとおり、私たちが観たのは、

勝敗を超えた二人の友情(平和)でした。
 あの二人の仕草や行動を見て、

「スポーツっていいな」

「人間っていいな」と、みんな心を洗われたと思います。

(3)2つの国の報道

 この2つのスポーツ結果を、日韓の各マスコミは、極めて好意的に報道しました。

 日本の報道内容は、皆さんがご存じのとおりです。具体的に名前を挙げませんが、

排外主義的論調を基調とする全国紙なども、大変好意的に報道していました。

 そして、ぼくは現地(アウェー)韓国で、朝鮮日報やKBSテレビなど韓国のメディアも、

上記2つの競技結果を、とても好意的に伝えていると思いました。

 実際の言葉(ハングル)は、全く理解できませんが、

新聞の写真やニュースキャスターの口調などで、鈍感なぼくでも、

十分その雰囲気は分かりました。

2.「守る平和」と

        「創る平和」

(1)「守る平和」と国連軍

 私たちは平和を語る場合、

戦争から「守る平和」を語ります。

ぼくの理解では、

軍事(武力)による対応をどの程度重視するかの論争です。

 そこでは、軍隊(自衛隊)の力、領土問題、侵略か否か、自国民の優秀さ、

戦争被害などが語られ、

それらを忘れるな、風化させるな等と言われます。                         

これは戦争による破壊からの「守る平和」論争です。

 憲法改正問題など、確かにこの視点からの論争は大切ですが、

現実の複雑な国際情勢から考えると、

この点でのすぐの結論は難しいと思います。

 この「守る平和」について、ぼくは自分自身の結論は持っています。

憲法9条の改正は反対です。

そして「守る平和」でのぼくの結論・ファイナルアンサーは、

ぼくの

「平和学としてのスポーツ法入門」(民事法研究会)でも書いたとおり

「本当の意味の国連軍」を創ることです(276p)。

 ぼくが大学の講義で、学生にもいつも話すのは、国内社会と国際社会との対比です。

 まず国内の治安問題です。

 誰もが知っているとおり、今の日本の治安は、世界の中でも最高クラスの安全さです。

私たちは日常、警察官が治安を維持してくれているので、

安心して毎日を過ごしています。

 比較するアメリカでは、各家庭で、個人が、

何と2億7000万丁もの銃をもって、

自衛(武装)しているんです。

3億人強の人口のアメリカ、

銃を使えない赤ちゃんや、寝たきりの人を除くと、

一人一丁の銃を持っていることになります。

アメリカでは、毎年毎年、

もちろん今年も、銃による大量殺人事件が、何度かありました。

国内の治安、日米どちらが安全かは、比較するまでもないでしょう。

 その対比で考えると、仮に、日本の警察のような組織が国際社会にもあれば、

これをぼくは「本当の意味の国連軍」と言いますが、

現在私たちが各家庭で銃など武器を持たず安心して生活しているように、

各国の自国軍隊は必要ないはずです。

この点、

 いうまでもなくその場合、

国連軍は国際公務員です。

 そうは言っても、鈍感なぼくでも、

「本当の意味の国連軍」を作るのがどれほど困難な作業かは分かります。

 今も話題になる朝鮮半島での「国連軍」も、

多少国際政治を学ばれた方なら、

それが「本当の意味の国連軍」ではなく、

ソ連が安全保障理事会を欠席しているのを奇貨としてデッチあげた、

実質「アメリカ軍」であることは、ご存じでしょう。

従って、本当の意味の国連軍を創ることは、ホント難しく、

現在もありません。

 でも、困難でもこの作業、

つまり「本当の意味の国連軍」を作る作業は、続けなければなりません。

 ぼくは、一方各国の優れた政治家、

そして理想社会を求め世界中から国連に集っている外交官や若者に、

その夢を託したいと考えています。

そして、アジア・太平洋戦争の経緯から、

日本はそれを主導したりアシストする絶好の地位にいるのです。

それでも「本当の意味の国連軍」を創るには、

300年~500年はかかるでしょうが・・・。

(2)「創る平和」とスポーツ


 上記困難な「守る平和」問題と並行して、

ぼくは、それと比べれば簡単な「創る平和」について考えます。

 「創る平和」にはいろいろな手段があります。

具体的には、文学、音楽、絵画、演劇や映画など芸術、

国際姉妹都市協定、留学生交換、

各種NGO組織(ライオンズ、ロータリー等)などです。

そして、これら種々の人的・物的な国際的文化活動による交流を通じ、

「創る平和」を、もっと積極的に考えることが大切だと思います。

 私たちは理性を持った人間です。

だれかれの見境なく殺戮を開始するわけではありません。

 いくつかの外的要因と、

ぼくの言葉では「戦争的ナショナリズム」による洗脳が、

その沸点に達したときに戦争が始まります。

 私たちは、その戦争に至る沸点を冷却できる「理性」を持っています。

それが、「創る平和」の考えです。そして、

ぼくは、「創る平和」に最も相応しいのが、

「権力」にも深く関連するスポーツだと思うのです。

 ぼくはスポーツを、

「楽しみをもって、他人と競り合う刺激をもつ、一定のルールによる、心身の運動」

と定義しています。

 ぼくは、上にも述べた平和を創るためのいろいろな行為の中でも、

スポーツはもっとも意義のある行為だと確信しています。

 この確信を理解していただくため、

次に、そもそもなぜ戦争が起こるのか考えて見ます。

3.戦争の発生原因

 なぜ戦争は起こるのでしょうか。

ぼくは、戦争発生には、

大きく分けて2つの要因があると思います。

(1)外的要因
①領土(資源)的要因…地下資源、海洋資源、漁業資源など。

②政治的要因…相手方の政治体制を否定し自国の政治体制を押しつける。

③経済的要因…階級社会闘争、貧困社会、格差社会。

④宗教的要因…十字軍、アラブ・イスラエル・パレスチナ問題、カシミール、

           IS問題など。

⑤人種・民族・言語的要因…部族間闘争、ナチスドイツ、大日本帝国。

⑥その他…歴史的怨恨、死の商人の存在など。

 過去これらの外的要因が、実際は複雑に絡み合い戦争が発生してきました。

(2)内的要因
 しかしぼくは、これら外的要因の他に、

人間ひとりひとりの内心に存在する要因も加わり、戦争が起こると考えます。

 人間には「権力欲・闘争本能」があります。

 これは人間を含む動植物としての本能として、避けられない属性です。

 ぼくは、この権力欲・闘争本能が、戦争開始、戦争遂行に際し、

上記外的要因と並び、重要な要素・位置を占めると考えます。

 これは本能であり、邪悪とかよこしまなものとして片付けることはできません。

本能ですから最終的な克服はできないのです。

ここで「権力」とは「他を条件付ける力」のことです。

 要するに、他を圧倒したい、ねじ伏せ制圧したい、

君臨したい、自分の子孫を残したい等々。

 そして生き物として、これを払拭し皆無にすることは、残念ながら出来ません。

この権力欲・闘争本能は、殺害、

とりわけ大量殺害としての戦争において、その最も赤裸々な姿を現すのです。

(3)戦争の発生
 当然私たちの先人は、理性により反省し、また歴史上の経験、交渉などにより、

一方で外的要因を減らそうと努力し、

また、内的要因である権力欲・闘争本能についても、

個人としての研鑽や宗教的・倫理的修行などにより、

自制し抑制しようと努めてきました。

 従って論理的にいえば、

これらの外的、また、内的諸要因を少しでも減らすことができれば、

それだけ戦争が回避される可能性も高くなるはずです。

 しかし、実際には、これら外的・内的諸要因が、交差したり重なり合い、

場合により相互に誤解・猜疑心・嫉妬心などを挟み、

それらが増幅して戦争が発生します。

 そのプロセスは単純ではありませんが、

時の各国の権力者が、

多くは危険の外に身を置き、自身の権力欲の満足や保身、延命、

また、戦争により利益を得る

「死の商人」の後押しなどを受けながら、

戦端が開かれるのです。

 そして、一旦戦争が開始すると、

「戦争的ナショナリズム」の赴くまま、

破滅的結果まで行くことも多いのです。

 先のアジア・太平洋戦争もそうでした。

今後考えられる戦争の、最悪のシナリオは、

核戦争による相互破壊、人類の滅亡です。

4.スポーツによる

        戦争抑止機能
 ぼくは、

今述べた内的要因を減らすのに、スポーツが大きな意義を有すると考えます。

 即ち、権力欲・闘争本能を、

スポーツによる競争レベルに「昇華」させ変形させるのです。

端的にいって、

「殺すところまで行かずに闘争本能を満足させる」のがスポーツです。

 前述のとおり、

スポーツは「競争」をその要素とします。

競争は、特に格闘技などでは闘争を意味します。

皆さんも経験されたとおり、

スポーツでの勝負の結果はとても大切です。

 勝負に勝つことは、

権力欲・闘争本能を、十分ではありませんが満足させる機能を有します。

 スポーツ競技において、

勝って嬉し涙を流し、負けて悔し涙を流すのは、

競技者の権力欲・闘争本能が、

勝った方はそれなりに満足し、

他方負けた方はそれが破壊されるからです。

 これまで皆さんだれもが、勝負での、

勝った時の嬉しさ、負けた時の悔しさを経験されたはずです。

 大きな大会、重要な大会や自分が必死に頑張った試合の後、

勝敗いずれにおいても、間違いなく涙を流されたでしょう。

 また、たかだか学校での運動会や、クラス、部活内部の練習試合、

あるいは地域自治会の体育祭、運動会、更には親善競技大会でさえ、

勝ったときの嬉しさ、負けたときの悔しさがあったことを思い出されるでしょう。

 繰り返しますが、そのポーツでの勝利は、

確かに権力欲・闘争本能の十分な満足ではありません。

 しかし、ルールを介在させ、ある程度の満足で終わらせノーサイドの結論に導く、

それが人類の叡智、文化としてのスポーツなのです。

そこにスポーツの良さ、

スポーツの持つ「平和創造機能」があるのです。

5.スポーツは人を殺さない


 ここで、戦争を考えてみます。

 戦争にも、戦時国際法というルールはあります。

 ただ、どれほどきれい事をいっても、

戦争は、所詮多くを殺戮することが最大の目的で、勝利への近道です。

 完全に抵抗できなくするためには、殺すことです。

 しかし、スポーツは、ボクシングなど最も危険とされる競技でも、

人を殺戮することを目的(ルール)にしません。

ボクシングでいえば、ノックダウンしたその時点で試合はストップ、勝者が決まります。

 そしてスポーツは、試合終了と同時にノーサイド。

 勝者が嬉しいのは当然ですが、敗者も負けた悔しさはあるものの、

ルールにより力と技、知恵を出し尽くした結果を認め、勝者を讃えます。

 その試合は、勝者・敗者を問わず、

少し大げさにいえば、それぞれの文化遺産として生涯の財産になります。

 ぼくが、戦争と異なり、スポーツを文化だといい、

スポーツ基本法が前文冒頭で、

「スポーツは、世界共通の人類の文化である」と規定するのは、これを意味します。

 スポーツやオリンピックでの

「勝つことではなく参加することに意義がある」という言葉は、

人生や歴史を長い目で見たとき、より輝きを増します。

平昌五輪での小平と李の関係を想い起して下さい。

6.ナショナリズム


 少し長くなりますが、

この関連で、政治の世界の

「ナショナリズム」を考えておきます。

民族主義などと訳されるナショナリズムも難しい概念ですが、

それは、上記「権力欲」と通底し、戦争時にそれが最も極大化する代物です。

 ぼくは、ナショナリズムについて三つの態様を考えています。

(1)本来的ナショナリズム
 第一は、

「本来的ナショナリズム」というナショナリズムです。

 それは、自分の生まれた国・地域を愛おしむ心、

即ち、慣習・風習・食事・言語・人間関係などを大切にしたいとの、

自然な感性に基づくものです。

これは極めて大切なナショナリズムとして尊重すべきであり、

否定する理由は全くありません。

(2)戦争的ナショナリズム
 その第二は、

戦争時に極大化する

「戦争的ナショナリズム」です。

 これは、理性ある人間としては克服すべき(でも容易に克服できない)心情です。

 後で冷静に考えれば反省すべき邪悪な心情です。

この戦争的ナショナリズムは、

市民や個人というより、国政を担う為政者(権力者)が、常に利用するイデオロギーです。

 過去の戦争時での多くの例はもちろん、

現代の国際政治社会を見ても分かるとおり、

各国の為政者が、排外主義的見地から、常にこれを利用しています。

 内政における国民の不満をそらしたり、権力者の失政を隠蔽するため、

これほど好都合なイデオロギーは、ないからです。

 私たち市民は、権力者の戦争的ナショナリズムの挑発に乗らないよう、

最大限注意する必要があります。

(3)競争的ナショナリズム
 そして、この二つのナショナリズムを架橋する第三の概念として、

ぼくは「競争的ナショナリズム」を考えるのです。

それは、

一方で「本来的ナショナリズム」を大切にしつつ、

他方、排外的な「戦争的ナショナリズム」にまで至らない範疇です。

それは、スポーツでのノーサイドの思想にたどり着くナショナリズムです。

 誰もが有する「権力欲・闘争本能」と「ナショナリズム」を、

ルール化によるスポーツで、競争的ナショナリズムの限度で満足させること、

これが人類文化の地平であるとの考えです。

ここにスポーツの良さがあり、

「スポーツの平和創造機能」に連なる重要な考えです。

 そうは言っても、どこまでがこの範疇かは微妙ですが、分かりやすい例でいうと、

「ニッポン チャチャチャ!」の合唱は(1)でOKですが、

「ジャパニーズ・オンリー」の横断幕は(2)でダメです。

7.スポーツの

      憲法上の位置づけ
 平昌オリンピックを

「スポーツの平和創造機能」と関連させて述べました。

 スポーツ基本法は、

前記のとおり「スポーツは、世界共通の人類の文化である」で始まっています。

これは、「明文のない新しい人権」としての「スポーツ権」を

実定法としてのスポーツ基本法に明文化したものですが、

新しい人権としての理論的説明は、長くなりすぎるので、

別の機会にさせていただきます。

上記34p この「スポーツ弁護士のぶさん」ブログ2017年8月24日ご参照。

 更に、スポーツと憲法では、平等の問題など、いろいろと関連します。

 例えば、ドーピング問題や、

近時のパワハラ・セクハラ問題、

大相撲の土俵に女子が上れないのは平等の理念に反しないのかなど、

興味深い問題もあります。

 いずれにしても、スポーツは若者を中心として行われ、

「創る平和」として決して風化せず、むしろ再生産されます。

 その意味では、残念ながら戦争がないと風化せざるを得ない

「戦争の語り部」や「原爆」とは異なります。

 そして、この「創る平和」の問題を実践し発展させれば、

困難な上記「守る平和」にも好影響を与えます。

 ついでに、「創る平和」には、

スポーツ交流による

「スポーツの平和創造機能」だけでなく、

心身の文字通りの最接近形態である

「国際結婚・雑婚のススメ」も必要であり、

ぼくは大賛成であることも付言しておきます。

「創る平和」については、ぼくの前記

「平和学としてのスポーツ法入門」また、

スポーツ問題研究会編

「スポーツの法律問題 第4版」(いずれも「民事法研究会」発行)をお読み下さい。以上

★ このブログについて

上記内容は、

2018年4月27日の南北首脳(文在寅・金正恩)会談

の直前(4/22)に書いたものです。

 ただ、その後、ご存じのように、慰安婦問題、徴用工問題、つい最近の韓国軍艦艇による自衛隊機へのレーダー照射問題など、

日韓関係はむしろ険悪さを増しているとも言えます。

 そして、

韓国人・朝鮮人は(併せて中国人やロシア人も)信用できないなどとして、

排外主義を煽るヘイトスピーチ的発言も目立ちます。

 しかし、

ぼくは楽観主義であり、その原点は、

「人間は、みんなちょぼちょぼ」主義です。

決して悲観しておらず、平和な国際社会に向けての、大きな歴史の流れを外さないように、来年もまた発言していこうと思っています。

どうかよろしくお願いします。    

それでは、

今日の一曲  

栄光の架橋

ゆずのライブから

 今日は

特に長い文章、最後まで読んでいただき、

本当にありがとうございました 

また、覗(のぞ)いてください。

来年2019年も、よろしくお願いします。

★ 最近は、時間の都合で、ブログではなくFacebookでいろいろと発言させていただいています。

Facebookは、短い内容にしていますが、気付かれた方、お友達になって下さい。

もちろん、あなたさえ良ければ、

ぼくと同じ考えである必要は、全くありませんので!!

詳しくは、

何度も書いて恐縮ですが、

 2020年までに、

平和を愛する人必読の、

増刷された

平和学としてのスポーツ法入門

民事法研究会  2800円+税

を読んでください。

2018(平成30)年12月31日  

        (NO.154)

スポーツ弁護士のぶさん こと

弁護士辻口信良

太陽法律事務所

住所 〒530-0047

大阪市北区西天満4-8-2 

北ビル本館4階

TEL 06-6361-8888

FAX 06-6361-8889

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おもろいもんみっつけた

→友人の辻井一基(つじいかずもと君のブログで、

おもろいもんを見つけてね!

 

2018年4月25日 (水)

鉄人衣笠祥雄 死去

 平和&スポーツあれこれ

   こんばんわ!

お元気ですか!?

大変気持ちのよい季候ですが、

朝夕と昼、

また前日との寒暖の差もあり、

体調を崩している人もいるので

気をつけてください。     

ぼくは、

スポーツの平和創造機能を語り続ける

スポーツ弁護士のぶさん です。

NO.126

平和学としてのスポーツ法入門民事法研究会

関連して

鉄人 衣笠祥雄の死

4月23日、上行結腸ガンで、死去。

鉄人は、100歳までは生きてもらわないと困るのに、

残念です・・・。

偉大な記録など、新聞、テレビなどでいろいろ報道されているので、ぼくは、少し違った角度から書いてみます。

1.恩師中村雅彦先生の話

 <太陽法律事務所の事務所報 1993年8月号より>

 衣笠選手は、京都の平安高校(現在 龍谷大平安)の出身です。その平安高校野球部で衣笠選手を指導した中村雅彦先生に、高校生時代の衣笠選手の話を聞いたことがあります。

中村先生は、既に亡くなられましたが、93年頃、ぼくが京都のKBSラジオ、京都放送でニュース番組をもたせていただいており、野球やスポーツのことで、いろいろと教えていただいていました。

<質問> 平安というと、広島カープの衣笠祥雄選手の母校で、中村先生が教えられたんですね。

<中村> そうです。ですが、私は当時衣笠がこれほどの大選手になるとは思ってもいなかったんです。

背は低かったし足も遅いし平安ではとても14人(当時、ベンチ入りできる人数)の中に入るとは思っていませんでした。

<質問> それが、鉄人と言われるスーパースターになったんですよね?

<中村> はい。しかし、彼はレギュラーでなくても練習は熱心でしたよ。

しかも、だれかに強制されてやるのではなく、自主的に黙々と。

そして私がノックするときなど、必ず隣にいて私の言葉や動作を熱心に観察していました。

<質問> 衣笠選手のことで、特に思い出されることはありますか?

<中村> ノック練習のときね、野球を知っておられる方は分かると思うんだけれど、キャッチャーフライでおしまいなんです。

だからどうしても遅い時間になる。

しかも彼は正捕手ではなかったので、一番最後なんですよね。

すると、フライを上げても暗くて見えなくなる。

ところが衣笠は、バケツの中の石灰をボールにまぶして、

もう一球、もう一球とせがむんです。

私がそれを頭上に打ち上げると、白い石灰だけが飛び散って、練習で黒くなったボールはたちまち闇の中へ。

だから、全然違うところへ必死でボールを追いかけたりするわけです。

それで私が、「明日、必ず明るいときに打ってやるから」と言ってなだめて、練習を終わったことを覚えています。

<質問> いかにも衣笠選手らしい粘りですね。

<中村> そうです。とにかく熱心だった。

それで、2年の秋の大会の途中からだったと思いますが、正捕手になり、その後はずっと彼がマスクをかぶりました。

そして春、夏と甲子園に出ました。

衣笠は彼の本の中で「中村先生は、特に細かなことは教えてくれなかった。基本を学ぶことだけ教わった。

自分がやらねばならないと思った」と書いてくれています。

 そのような高校時代だったようです。

あるいは、生い立ちなどで、人には言えない悩みがあったかもしれません。

2.平和の人 衣笠祥雄

 衣笠選手の、平和に対する思いについて次のようなエピソードがあります。

広島に原爆が投下された8月6日の本拠地ゲームで、

広島の選手がユニホームに

PEACE(平和)

HIROSHIMA 86とあしらってプレーした

ピースナイターがあります。

そのことと関連するのですが、

衣笠選手は、

原爆が落とされた8月6日の午前8時15分、

毎年欠かさずに黙とうをしていると話されたことがあります。

広島に入団した新人時代、市内の至るところで市民から「原爆被害の悲惨さを聞かされた」とも語りました。

そして、現役選手たちに、衣笠選手は

「戦中は、野球がしたかったのに戦地にかり出され、無念の死を遂げた先輩たちも少なくありません。平和の尊さと市民球団の誇りをかみしめることで、一球一球に心がこもるようになる」と平和の大切さを語っていたようです。

3.フルスイングの人 衣笠祥雄

 心根が優しいことのエピソードとしては、

1979年8月1日、巨人西本聖投手のデッドボール事件があります。

衣笠選手は、左肩骨折の重傷を負いながら、翌日の試合に代打出場し、江川投手の速球を豪快に3回空振りして三振になりました。

もちろん、連続試合出場がかかっているので意地でも出場という衣笠選手の心意気ですが、その時の

「1球目はファンのため、2球目は自分のため、3球目は西本君のため」という言葉が、

語り継がれています。

死球をを当てた相手方投手をも思いやる優しさです。

 西本投手は、

その後「衣笠さんだけは厳しく内角を攻めるのをやめよう」と誓ったとのことです。

(その結果)衣笠さんによくホームランを打たれ、事実19本と一番被本塁打の多いのが西本投手なのです。

それについても、内角シュート責めを得意とする西本投手は、「天国から衣笠さんに、お前はプロとして甘かったなと言われるかもしれませんが、こんな人格者に死球を当てたらいけないと勝手に思っていました」と、今日の日刊スポーツ紙に書いています。

4.鉄人衣笠祥雄 公式記録

1947年1月18日生(享年71歳)

1975年、山本浩二選手らと初めてセ・リーグ制覇、

その後79年、80年と連続日本一で、

赤ヘル旋風を巻き起こしました。

◆2215試合連続出場(1位)

◆通算安打数2543本(5位)

◆本塁打504本(7位)

◆ベストナイン3回

◆ゴールデングラブ賞3回

◆オールスター出場13回

◆打点王1回、

◆盗塁王1回(決して足は遅くない!)

◆死球161は歴代3位(因みに1位は清原和博)

◆「江夏豊の21球」での逸話も有名です。

◆1987年国民栄誉賞

◆メジャーリーグで2632試合連続試合出場の記録をもち、2011年の東日本大震災の後、衣笠選手と岩手県大船渡市で野球教室を開いたカル・リプケン選手からは、「愛する野球に臨む覚悟や気持ちについて、衣笠さんと私は同じ考えをもっていた。彼と親友でいられることを誇りに思っていた。」などとするメッセージが届いたとのことです。

                                      <合掌>

それでは、

今日の一曲  

広島カープの応援歌

それ行けカープ

若き鯉たち

平和学としてのスポーツ法入門

(民事法研究会)より

今日は引用は割愛します。

 今日も

最後まで読んでいただき、

本当にありがとうございました 

また、覗(のぞ)いてください。

詳しくは、

 2020年までに、

平和を愛する人必読の

平和学としてのスポーツ法入門

2017年 民事法研究会  2800円+税

を読んでください。

筆者としては、

まずコラムを読んでいただきたいです。

また、

スポーツ基本法のコンメンタール部分は飛ばしていただき、

最後に読んでいただくと良いと思います。

2018(平成30)年4月25日  

        (NO.126)

スポーツ弁護士のぶさん こと

弁護士辻口信良

太陽法律事務所

住所 〒530-0047

大阪市北区西天満4-8-2 

北ビル本館4階

TEL 06-6361-8888

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2018年2月20日 (火)

平昌五輪、小平奈緒と李相花

    こんにちは!

お元気ですか!?

スポーツの平和創造機能を語り続ける

スポーツ弁護士のぶさん です。

NO.109

平和&スポーツ

ひとことふたこと

 昨日遅く、オリンピックの韓国

平昌(ピョンチャン)から帰ってきました。

現地での話は後日書かせてもらうとして、

本日は、

小平奈緒と李相花(イサンファ)の

500㍍スピードスケートについてです。

韓国のテレビ・新聞でも報道していましたが、

日本の本日各紙の「コラム」的記事の内、

朝日新聞の「天声人語」が、ぼくの気持ちに最も近かったので引用させてもらいます。

天声人語 2020年2月20日

▼スピードスケートの小平奈緒がレースを終え、リンクをゆっくりと回る。客席から大きな歓声が上がる。小平は指を立てて口にあてた。

「静かに。次のレースがあるから」と言うかのように。

その瞬間の写真が韓国の新聞「朝鮮日報」の記事に添えられていた。

▼次に控えていた韓国の李相花(イサンファ)は、五輪での3連覇が期待されていた。

小平のしぐさは、李への気配りのように見えた、と記事にある。

結果は、小平が李にまさった。

泣き崩れそうになった李を小平が抱擁したことも、韓国メディアは手厚く伝えた。

▼国際社会で何度も戦うライバルは、やがて友人になった。

李は語っている。

「彼女が韓国の家に遊びにきたことがあった。私が日本へ行けば、いつも面倒を見てくれる。特別な友達だ」。

2人で一緒に走ってきた、とも。

▼ライバルの語源はラテン語の「川」にあり、「対岸に住み同じ川を利用する2人」を指した。水をめぐる争いがあるためという。

しかし、

2人の選手を見ていると、同じ川の流れの中で生きる人、と読み替えたくなる。

▼頂点での勝負について回るのが、美しい気持ちばかりとは思えない。

敵愾心(てきがいしん)も嫉妬心もあろう。

国際大会ともなれば、国対国の色も帯びる。

だからこそ、選手と選手のつながりに心が動く。

先日は羽生結弦がスペインのライバルと抱き合う場面もあった。

同じコーチのもとで練習した仲だという。

▼競い合い、励まし合い、尊敬し合える友達がいる。

そうありたいと願うのは、もちろん競技の世界に限らない。

以上が、朝日新聞の記事です。

全国紙その他、20日朝刊

◆読売新聞の編集手帳は、

「・・・視聴者の心にしみたのは、(小平が)銀メダルとなった韓国・李相花選手と抱き合い健闘をたたえ合った光景だろう。

二つの国の国旗が氷上にになびき、美しい涙がそこにあった。

少し考えて見たけれど、美しすぎて例えが見つからない。」と書きました。

他に、別のページに「氷解かした日韓の友情」の記事があります。

◆毎日新聞の余録は、

小平とオランダとの関係、彼女の努力と応援してくれた人々への感謝を書いていますが、ライバル李についての記載はありません。

ただ、

社説には最大のライバル同士が抱き合ったシーンが印象的との記載があり、

別に現地朝鮮日報のスポーツ部記者の李の苦悩と「2人の厚い友情」の詳しい記事があります。

◆産経新聞産経抄は、

小平が頑張って圧勝した記事になっていますが、社説に当たる「主張」では、2人を例に「五輪の価値を再確認」と書き、

更に別のページでは、「スポーツの力に共感」とし、

たたえ合うライバル小平と李の友情にアイスリンクも溶けるほど、

と韓国メディアがたたえていることを伝えています。

そして、

李自身がSNSで、小平が李の肩を抱いて韓国旗を手に取り、

健闘をたたえる写真を掲載し「韓日戦に感動した」と報じています。

◆日経新聞春秋には

記載がなく、

社説やスポーツ面などにも、二人の関係について評価するような記事は見当たりませんでした。

※ なお、以上はいずれも大阪版で、見落としている記事があるかも知れませんので、悪しからず。

※ いずれにしてもぼくは、

その日、韓国にいて、

言葉は理解できないけれど、

韓国のテレビKBSなどの雰囲気が良い感じでしたし、

読めないのに、2月19日付の韓国の東亜日報と朝鮮日報を買って帰りました(笑)。

 

それでは、

今日の一曲  

今日の記事に最もふさわしい

ユーミン

ノーサイド

平和学としてのスポーツ法入門

(民事法研究会 入門●p)より

古田選手の話の続き予定でしたが

今回はお休みします。

 今日も

最後まで読んでいただき、

本当にありがとうございました 

また、覗(のぞ)いてください。

詳しくは、

 2020年までに、

平和を愛する人必読の

平和学としてのスポーツ法入門

2017年 民事法研究会  2800円+税

を読んでください。

筆者としては、

まずコラムを読んでいただきたいです。

また、

スポーツ基本法のコンメンタール部分は飛ばしていただき、

最後に読んでいただくと良いと思います。

2018(平成30)年2月20日  

        (NO.109)

スポーツ弁護士のぶさん こと

太陽法律事務所 弁護士辻口信良

 

住所 〒530-0047

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2017年10月13日 (金)

日本を普(ただ)通の国にするな!!   その2

     こんばんわ!

日が暮れるのが早くなってきました。

お元気ですか!?

スポーツの平和創造機能を語り続ける

スポーツ弁護士のぶさん です。

引き続き、総選挙の関係での、

憲法が危ない,のぼくの思いを書きます。

そうです、

緊急!!

憲法が危ない!

世界の平和が危ない!

もっとも

当たり前のことですが、

憲法が危ないというのは、

何も、憲法そのものを墨守(ぼくしゅ)しようとしているわけではありません。

9条が改正されることにより、

私たち国民の生活が、

平和なときの平時用から戦争用に移行し、

世界の平和にとってもまずい、

最近の言葉では、ヤバイことになるということです。

ここで、

平和について体験的なことも含め書いてみます。

2.平和について
(1)前提・・・悪いヤツはいる

 但し、ひとつ前提があります。
世の中、

いつの時代でも、

どこにでも(国内外を問わず)、

必ず、

いやなヤツ、悪いことや邪(よこしま)なことをする輩(ヤカラ)がおり、

国があるということです。

 そして、それに対しては、

きちんと排除し制裁を加えるべきだということです。

国内社会では警察が、

国際社会では国連軍

きちんと対応してくれる、それが理想です。

 ただ、

国内社会でもそうですが、

国際社会ではなおさら、

自分(自国)が正義であると主張する場合が

多く、

何が正義かは、それ自体大きな問題です。

ただ、最後は、

人間社会の未来を冷静に展望しての正義を、

難しいけれども、

それぞれの時点で判断してゆくしかありません。

 それでは、これから

国際社会における平和(治安)維持

について、

国内社会における平和(治安)維持

と比較しながらの説明します。

その方が分かってもらえるからです。

(2)国内の平和(治安)
 日本国内では、各家庭は武器(銃)を保持せず、

平和(治安)の維持を警察に任せています。

この点、アメリカでは別の考えで、

修正アメリカ憲法2条で、人民の武装権として、

武器(銃)を持つ権利を認めています。

従って、各家庭が銃を持つことを規制することは、憲法上できないのです。

具体的にアメリカでは、

3億2000万人の人口に対し、

3億丁の民間人保有の銃があるとのことです。

赤ちゃんや幼児、高齢で動けない人たちを除き、一人に一丁、銃があることになります。 

 では、

日本とアメリカ、家庭生活はどちらが安全でしょうか。

この10月1日に、ラスベガスのlコンサート会場で32階の部屋からの発砲で発生した、

銃による無差別乱射事件(59人死亡・527人負傷との報道)だけでなく、

毎年のように発生する

「アメリカでの銃による死亡事故、銃を使っての強盗など」

を考えれば、どちらが安全か答えるまでもないでしょう。

 それでも、

自衛のために家庭で武器(銃)を持つことが認められるべきだとのアメリカ世論は、

ぼくに言わせればナンセンスです。

国の生い立ち、歴史、社会構造、人種・民族構成など、

日本とはいろいろ異なりますから、

理念的にアメリカが劣っていると言うつもりはありませんが、

現実の市民生活の平和(治安)の観点からすれば、

日本の方が、間違いなく優れています。

(3)アメリカ、ロシアの核兵器

ちなみに、

アメリカ、ロシアには、

それぞれ5,000~10,000発の核兵器があると言われていますが、

持たないと、とにかく不安だとの心理があるんです(恐怖の均衡)。

ところで、

前記乱射事件で、銃製造会社の株価が値上がりした、との報道もありました。

無差別乱射事件の結果、

みんな、それぞれに自衛する方に向かうので銃が売れるからだそうです。

銃器産業=兵器産業=死の商人がもうかるのですよ。

ぼくにいわせれば、狂っていますよね。

長くなったので、次回、話を元に戻して説明します。

それでは、

今日の一曲  

未来へ

キロロ(Kiroro)です。

夢を持ちましょうよ! ね!

<おまけのひとことふたこと>

昨日乗った、タクシーの運転手さん。

衆議院選挙の話。

小池さんって、大丈夫なんですか?

結構好戦的な人なんですねと。

株式が上がったので景気はいいんでしょ、ヤッパリ安倍さんかな、と。

でも、北朝鮮に対し、安倍さんは、圧力・圧力ばかりで、戦争の本当の姿を知らない。

やはりお坊ちゃんですねとも。

そして、トランプさんべったりで心配だし・・・等々。

一生懸命考えておられるようすが、ありありです。

みんなまじめに考えているんです。

少し長い時間乗っていたんで、

ぼくの考えも話してみました。

いろいろとやりとりをし、

リップサービスかもしれませんが、

憲法改正しない党や人に、入れますと。

 今日も

最後まで読んでいただき、

本当にありがとうございました 

また、覗いてください。

詳しくは、

 2020年までに、

平和を愛する人必読の

平和学としてのスポーツ法入門

(民事法研究会 2800円+税)

を読んでください。

2017(平成29)年10月13日  

        (NO,75)

スポーツ弁護士のぶさん こと

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2017年7月27日 (木)

参加することに意義がある 円谷幸吉その2

     おはようございます!

日付が変わり、27日になりましたよ。

皆さんのところは、熱帯夜でしょうか。

お元気ですか!?

スポーツの平和創造機能を語り続ける

スポーツ弁護士のぶさん です。

前回の続き、スポーツにおける

参加することに意義があるです。

27歳で自殺した円谷幸吉の

<遺書>です。

 

 父上様母上様、三日とろろ美味しうございました。

 干し柿、もちも美味しうございました。
 敏雄兄姉上様、おすし美味しうございました。
 勝美兄姉上様、ブドウ酒、リンゴ美味しうございました。
 巌兄姉上様、しそめし、南ばんづけ美味しうございました。
 喜久造兄姉上様、ブドウ液、養命酒、美味しうございました。

 又 いつも洗濯ありがとうございました。
 幸造兄姉上様、往復車に便乗させて戴き有難うございました。

 モンゴいか美味しうございました。
 正男兄姉上様、お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
 幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、
 良介君、敦久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、
 光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、
 幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
 立派な人になって下さい。

 父上様母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
 何卒お許し下さい。
 気が休まることもなく

 御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。
 幸吉は、父母上様の側で暮らしとうございました。

以上が遺書です。

(注)三日とろろ 彼の郷里福島県で正月三日に食べるとろろのこと

 当時は、日本の高度経済成長期ということもあり、

女子バレーの大松博文監督の

「おれについてこい」式の勝利至上主義、

新たなナショナリズムという背景がありました。

7人兄弟の末っ子で、

おそらくみんなに可愛がられて育った彼が、

猛練習で東京で銅メダルを獲得し、

そして、

身体の故障にもかかわらず高まる更なる期待、

それに押しつぶされ孤独になって死を選んだのでしょう。

予定されていた結婚も、

競技生活に支障が出ると上官に反対され破談になったとの逸話も残っています。
 当時とは時代も感覚も違うでしょうが、

出場選手には伸び伸びと頑張ってもらい、

平和でより良い世界のために貢献してほしいものです(オリンピック憲章)。

そして何よりテロのない平和なスポーツ祭典でありますように。

                                          以上

因みに、円谷選手のライバルだった君原健二さんは、今(2017年)も健在です。

円谷1940年、君原1941年生まれです。

さて

今日の一曲  

これも1968年に流行った曲から、

サウンドオブサイレンス

サイモン&ガーファンクル

 

<おまけのひとことふたこと>

7月25日、天神祭の本番でした。

 ぼくのいる太陽法律事務所が入っている北ビル本館の前(老松通り)を、大阪天満宮からの神様が、毎年通ります(陸渡御)。

それを終えると、大川に出て、船に乗り船渡御(ふなとぎょ)が始まるのです。

 そして、約100艘の船が行き交う中、奉納の花火が打ち上げられ、船の中ではお酒で神様をもてなすのです。ウソ! 乗っている自分たちが飲むのです。

行き交う船と船の乗組員同士が、「大阪締め」で、手拍子をしながら、奉納花火を待ちます。

 と、実は25日の夜は、そんなに人たちの仲間のひとりにさせていただいたのです。

雨も降らずホント良い・酔いまつりでした。

 今日も

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました 

また、覗いてください。

詳しくは、

 2020年までに

平和学としてのスポーツ法入門

(民事法研究会)を読んでください。

2017(平成29)年07月27日  

(NO,46)

スポーツ弁護士のぶさん こと

太陽法律事務所 弁護士辻口信良

 

2017年7月26日 (水)

参加することに意義がある 円谷幸吉その1

    こんばんわ!

毎日暑い日が続いています。

お元気ですか!?

スポーツの平和創造機能を語り続ける

スポーツ弁護士のぶさん です。

今回と次回、

コラム、スポーツにおける

参加することに意義があるです。

円谷幸吉選手の悲しい遺書です。

「平和学としてのスポーツ法入門」の280pです。

 これは、

前回1964年の東京・オリンピック、マラソンで銅メダルを獲得し、

次の1968年メキシコ・オリンピックでも期待されていた

円谷幸吉選手が自殺したことをテーマに、2004年8月8日に、ぼくが書いたコラムです。

彼の優しい心、切ない辞世の詩には、

何度読んでも涙がにじんできます。
 ぼくにとっても10年以上前のコラムですが、

2020年に向けて、この気持ちは変わらないので載せます。

<コラム本文>

 (2004年)8月13日から29日まで、ギリシャのアテネで夏のオリンピック大会が開催されます。

 アテネは1896年、近代オリンピックが最初に開催された都市で、108年ぶりに故郷に帰ったわけです。
 今大会、日本からは今のところ312人の選手が参加を予定しています。

ところが、いつも大会が迫るにつれて、日本としての獲得メダル目標は合計何個だとか、「日の丸」を背負うからにはメダルは一番良い色をなどと賑やかになります。

前回のシドニーが金5、銀8、銅5だったので、少なくともそれ以上が目標だとか。

 しかし、「日の丸」を背負って勝つことが、それほど大事でしょうか。

確かに勝利者への拍手・賞賛は惜しみなく送りますが、ぼくは、それほど勝利に執着する必要はないと思います。

 ぼくたちがスポーツに感動するのは

勝敗という結果よりも、それに至るまでの努力や、その試合における真剣で堂々としたフェアプレーでの競争・格闘、力を出し尽くした後の姿に、

勝者・敗者を問わず、心を揺さぶられ心を洗われるからです。

 ですから、メダルの数とか色、順位はどうでも良いとはいいませんが、決してスポーツにおいて本質的ではありません。

勝つことではなく参加することに意義があるとの考えは正しいのです。

 以下は、

40年前の1964年の東京オリンピック、マラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉選手が、

次のメキシコ五輪を半年後に控えた1968年1月9日、自衛隊体育学校内の自室で自ら27歳の命を絶った時の遺書です。

遺書の内容は次回。

さてここで、

今日の一曲  

1968年に流行った曲から

小さなスナック

パープルシャドウズ

<おまけのひとことふたこと>

2017年6月23日の新聞朝刊に、国際水連が、

「シンクロナイズドスイミング」の種目名を

「アーティスティックスイミング」に変更することを決めたとの記事が載りました。

この予想については、

東京オリンピックまでには変更になると

「平和学としてのスポーツ法入門」の10pで

ぼくが予言(?)したとおりになりました。

 そこでも述べましたが、

やや機械的なSynchronizedよりも、

創造性を含む芸術性を意味するArtisticのほうがふさわしく、ぼくは賛成です。

 今日も

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました 

また、覗いてください。

詳しくは、

 2020年までに

平和学としてのスポーツ法入門

(民事法研究会)を読んでください。

2017(平成29)年07月26日  

(NO,45)

スポーツ弁護士のぶさん こと

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2017年7月 2日 (日)

アントニオ猪木と憲法13条 その5

    おはようございます!

土曜深夜というか、日曜早朝というか、真夜中、

スポーツの平和創造機能を語り続ける

スポーツ弁護士のぶさん です。

元気ですか?

アントニオ猪木と憲法13条

1.猪木ワールド

げんきですか!!ではじまり、

いち、にい、さん、ダーツ!!で終わる、

猪木さんの会合は、独特の雰囲気があります。

 それは、猪木さん自身の日本人離れした風貌と体格、

プロレスラーとしての実績、

また、スポーツ平和党から参議院議員に当選し、

湾岸戦争での人質救出活動、

約30回にもなる北朝鮮訪問など、

文字通り体を張って突っ走る行動力などによります。

 ただ、その原点をたどると、

移民先のブラジルで力道山に見いだされ、

力道山の栄華と悲しみなどを見分・経験したことが大きいと思います。

2.体罰問題と夢

 直接猪木さんに聞きましたが、

力道山には、よく殴られたそうです。

ぶん殴られたり、車から落とされたり、タバコの火を押しつけられたり、理不尽とも思える暴力、いじめとも思える仕打ちが結構あったそうです。

 ただ、力道山の北朝鮮出身という生い立ちや、

それを名乗ることのできない背景、

また、間違いなく存在した差別で大相撲界を去った経緯などから、

猪木さんは力道山の気持ちを理解し、

一方では自分がそう(暴力的に)ならないようにと自省しているとも言われました。

 そして、力道山のため平和のために、38度線、南北朝鮮の軍事境界線の板門店で、

世界格闘技大会をするのが夢であると猪木さんは語っています。

3.戦争克服のためのスポーツ

  これらをぼくなりに総括すると、明らかに、力道山は戦争の被害者でした。もちろん、彼だけではなく、殆どの在日韓国・朝鮮の人たちもそうです。

 猪木さんは、夜、力道山が北の方を向いて立ち、物思いにふけっていたのを、覚えていると言うことです。

 そんな思いも込め、猪木さんは、どつかれながらも力道山を慕い、また、今もご健在の力道山の奥さんを、とても大切にされています。

4.まだまだ燃える闘魂を

 猪木さんは、色紙に「闘魂」とよく書きます。

最近、いろいろと報道されていますが、

お互い頑張りましょうと励ましているところです。

今日の一曲  

前回の続き、17歳、高校時代は良いですね。

西郷輝彦

17歳のこの胸に

と、これが、西郷輝彦と本間千代子の映画版ですが、

ネットを検索していたら大阪中之島付近をバックにした、カラオケ・バージョンがあったので、おまけで、それも添付します。

かなり、大人のムードで、17と言うより27歳のイメージですが・・・。

中之島公会堂(国指定重要文化財)や水晶橋は、ぼくたちの太陽法律事務所から徒歩5分くらいのところです。

ご希望の方はご案内しますよ。

<おまけのひとことふたこと>

 過去に戻る?

 もし、過去に戻れるなら何才かと言われると、確かに、ぼくにとっても、17才は戻りたい年齢ですね。

その頃は、わけもわからず政治的なことにも関心を持ち始め、市民講座でかじったロシア語で、港に入ったソ連船を訪問し、女性の船員(ふなのり)がいることにびっくりし、高校二年生の秋、七尾高校の生徒会長をさせてもらい、すごく張り切っていた、うれしがっていた記憶があります(平和学としてのスポーツ法入門 147p・169p)。

夢がいっぱいでした。

 今日も

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました 

また、覗いてください。

詳しくは、

 2020年までに

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(民事法研究会)を読んでください。

2017(平成29)年07月02日  

(NO,34)

スポーツ弁護士のぶさん こと

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2017年7月 1日 (土)

アントニオ猪木と憲法13条 その4

     こんばんわ!

7月になりました。

スポーツの平和創造機能を語り続ける

スポーツ弁護士のぶさん です。

元気です か?

なかなか更新時間は作れないのですが、

最低週一回は守っています。

アントニオ猪木と憲法13条

1.格闘技世界一決定戦

アントニオ猪木は1943年生まれ、

モハメド・アリは1942年生まれです。

アリは、1960年のローマ・オリンピック、ライトヘビー級で金メダルを獲得してプロに転向、

ヘビー級のチャンピオンになりましたが、

黒人差別に対し厳しい批判的言動を繰り返し、

ベトナム戦争での兵役拒否でチャンピオンの座を剥奪されるなどしました。

1976年6月26日、アントニオ猪木(プロレス)とモハメド・アリ(ボクシング)が、異種格闘技の戦い

「格闘技世界一決定戦」を行いました。

この試合、古いファンで観られた人もいるでしょう。

勝者が1000万$(当時のレートで30億円)獲得するなどと言われましたが、

当初、アリがエキジビションの軽いつもりであったこと、

本番直前、タックル、チョップ、投げ技、関節技など禁止という、猪木側に不利なルールになったことなどで、

試合中、立ち技がほとんどなく、

猪木がスライディングでアリを転倒させる作戦

また寝転がってアリの足を蹴る作戦に終始し

3分×15ラウンドで引き分け、直後、大ブーイングを浴びる結果になりました。

2.猪木とアリの友情

 試合後、双方非難を浴びたことはもとより、

猪木は財産面で、

アリは身体面(蹴られた足のケガ)で、

それぞれかなりの痛手を負いました。

 しかし、その結果、逆に二人は結びつき、

アリが、自身の結婚式に猪木を招待したり、

北朝鮮での猪木の試合に、アリが協力するなどし、

1998年の東京ドームでの猪木の引退試合には、パーキンソン病をおして、

アリが来日、猪木に花束を贈るなどの交流がありました。

3.世界格闘技の日

2016年、猪木さんを中心に

6月26日が、「世界格闘技の日」として制定されました。

ぼくもその会には出席しましたが、それは、格闘技世界一戦から、ちょうど40年後でした。

しかし、残念ながら、

アリは、その直前の6月3日に死去し、会には参加できませんでした。

 猪木さんのは、朝鮮半島38度線、

板門店での世界格闘技選手権。

 

今日の一曲  

本州での梅雨は明けていませんが、7月になりました。

みなさんは、もし過去に戻れるとしたら何才に戻りたいですか。

南沙織  17才

ちなみに、彼女は篠山紀信の妻(3児の母)になっています。

<おまけのひとことふたこと>

 JOCに6人の女性理事

毎日更新できれば、もっと早く報告できるのに、ごめんなさい。

JOC(日本オリンピック委員会)は、

6月27日、評議員会で、理事を選任しました。

これまで29人の理事の内、女性は3人、

ところが今回、倍の6人になりました。

齋藤春香(新任 47歳) ソフトボール 

小谷実可子(復帰 50歳) シンクロナイズドスイミング

荒木田裕子(復帰 63歳) バレーボール

橋本聖子(留任 52歳) スケート 

高橋尚子(留任 45歳) 陸上マラソン

山口香(留任 52歳) 柔道

ガンバレニッポン! 

ガンバレ女性理事!

 今日も

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました 

また、覗いてください。

詳しくは、

 2020年までに

平和学としてのスポーツ法入門

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2017(平成29)年07月01日  

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