スポーツ

2017年6月18日 (日)

スポーツと法

     こんばんわ! 

深夜12時を回りました。

スポーツ弁護士のぶさん です。

元気です か?

これを読んでいただいているのは、

何時頃でしょうか?

それでは、スポーツと法の関係を説明します。

1.スポーツと法


 スポーツ法とは、

スポーツに関係する法のことを言います。
ぼくは、ある法がスポーツに関係すれば、その関係する限度で、その法はスポーツ法だと言っています。

2.スポーツ六法2014(信山社)からの引用

 スポーツ六法の目次で引用されている法律などを、一部ですが順不同でピックアップしてみます。

ざっと目を通してもらうだけで構いませんよ。

青字は、ぼくの本の中で多少詳しく説明しているものです。

・日本国憲法
・スポーツ基本法
・教育基本法
・学校教育法
・社会教育法

・熊本県スポーツ推進審議会条例
・21世紀出雲スポーツのまちづくり条例
・琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例
・北海道アウトドア活動振興条例
・兵庫県スポーツ賞規則
・苫小牧市スポーツ都市宣言
・国際連合憲章
・オリンピック憲章
・世界人権宣言

・ヨーロッパ・みんなのためのスポーツ憲章
・体育およびスポーツに関する国際憲章(ユネスコ)
・児童(子ども)の権利に関する条約
・IOC倫理規程
・スポーツにおけるドーピングの防止に関する国際規約
・世界ドーピング防止規程
・日本ドーピング防止規程

・文部科学省設置法
・民法
・国家賠償法
・製造物責任法(PL法)
・独立行政法人日本スポーツ振興センター法
・スポーツ振興投票の実施等に関する法律(toto法)
・私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独占禁止法)
・不正競争防止法
・著作権法
・特許法
・実用新案法
・意匠法
・商標法
・環境基本法
・自然公園法
・都市公園法
・刑法
・競馬法
・自転車競技法
・商法
・体育の日について
・スポーツ立国戦略

・生涯学習の振興のための施策の推進体制等の成美に関する法律
・健康増進法
・食育基本法
・医師法
・児童福祉法
・男女共同参画社会基本法
・障害者基本法
・日本プロフェッショナル野球協約
・プロ野球統一契約書様式
・学校の体育行事等における事故防止について
・サッカー活動中の落雷事故の防止対策についての指針
・日本スポーツ仲裁機構スポーツ仲裁規則
・労働基準法
・建築基準法
・公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律
・公益財団法人日本体育協会定款
・公益財団法人日本オリンピック委員会定款
・公益財団法人日本障害者スポーツ協会定款

等々ですが、これらはごく一部です。

 また、ここに載っているものが全て法というわけではなく、単なる宣言もありますが、

少なくても法的関連がある点では、目次に載せられる意義はあるわけです。

 

では、

今日の一曲  

モナリザの微笑み 

1968年当時の歌

ザ・タイガ-ス

雨の日曜日の歌です。

今の人には分からないでしょうが、

ジュリー(沢田研二)なんか、すごい人気でしたね。

<おまけのひとこと>

  6月17日(土)、大阪の太閤園で、

関西石川県人会連合会の会合がありました。

 関西での石川県(加賀・金沢・能登)出身者や石川県に縁(ゆかり)のある人たちの、

年1回の会合です。

 ぼくは、能登七尾の出身です。

 既に、ふるさとを離れて50年以上経っている人も多いのですが、みなさんそれぞれタイムスリップして、幼い頃の思い出や関係を石川の方言などで、会場が石川の色に染まっていました。

締めの「万歳三唱」の代わりに「石川 愛! ISHIKAWA I 」を三唱しました。

みなさんのふるさとはどちらですか?

 

 今日も

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました 

また、覗いてください。

次回は、アントニオ猪木さんのことを少し書きます。

詳しくは、

 2020年までに

平和学としてのスポーツ法入門

(民事法研究会)を読んでください。

2017(平成29)年6月18日  

(NO,28)

2017年6月15日 (木)

スポーツと体育 5

     こんばんわ!

スポーツ弁護士のぶさん です。

元気ですか?

<スポーツと体育 その5>

1.教育の中の体育

 前回に続き、

体育(スポーツ)の場面での教育問題です。
富国強兵、殖産興業の観点から、元気な青年が必要でした。

教育の中の体育として、スポーツ的なものが採用されたのは間違いありません。
 ところが、既に述べたとおり、

日本の明治初期の教育は、

自主性・自発性・自律性を育むのがむずかしい環境下にありました。

 一方科目としての特殊性から、

体育(スポーツ)科目では、

上命下服・上意下達の人間関係が、他の科目より強く、上記傾向が一層進んだと思われます。

 まして戦時体制の一時期、

軍人が学校に乗り込み、教練のような形で、特に体育(スポーツ)への介入・指導を行いました。

 そのため、主体性を確立するとの教育本来の姿が一層ゆがめられ、そのまま1945(昭和20)年の敗戦につながったと言えます。

2.日本国憲法と教育
 敗戦後、日本国憲法ができました。

 教育については第26条で、

ひとしく教育を受ける権利が認められ、

親は子どもに、教育を受けさせる義務を負っています。

その教育の中には体育も含まれます。

 それを受け、教育基本法、学校教育法、社会教育法が制定されました。

そして2011年、

スポーツ基本法もできました。

 そのため、前後70年、

民主主義の基本である主体性の確保

つまり、自主性・自発性・自律性については、かなり変わったと信じたいところです。
 しかしスポーツ指導者などの話を聞くと、

わが国では現在でも、

教師(指導者)のいうことは素直に聞き、与えられた練習メニューなどはきちんとこなすけれども、

自主性・自発的な行為が苦手であったり、自身の意見をはっきり言わない傾向が、なお続いていると聞きます。
 そしてその点が、

後述する体罰などの温床になっているようにも思います。

3.渡辺守成・FIG会長

 2016年10月、

国際体操連盟(FIG)の会長に渡辺守成氏が選ばれました。

 数あるオリンピック競技団体(リオでは28競技306種目)の中で、会長としては卓球の荻村伊智朗氏以来、実に23年ぶりとのことです。

 会長になったから偉いと短絡的に考えるのも良くないのですが、日本のアスリート出身者で、国際的リーダーとしてぐいぐい引っ張ってゆく人材が少ないのは、残念ながら事実です。

 ぼくは、これもやはり上記日本的教育の結果のように思えて成りません。
 

今日の一曲  

あめふり

北原白秋作詞

中山晋平作曲

  

<おまけのひとこと>

 !! 

共謀罪にレッドカード!!

 これがぼくの思いだったのですが、残念ながら本日早朝成立。

 大丈夫と楽観する人もいるのですが、

監視社会・密告社会のきっかけになり、社会生活が萎縮しないか心配です。

 権力をきちんと見張ろうとする人にはヤバイ法律です。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックを安全に開催するためとの説明もありましたが、全くとってつけた理屈で、納得できません。

 国民はバカだから、時が経てば忘れるとなめられないように、これからもしっかりと為政者をチェックしましょう。

 

 今日も

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました 

また、覗いてください。

2017(平成29)年6月15日  

(NO,26)

スポーツ弁護士のぶさん こと

太陽法律事務所 弁護士辻口信良

2017年6月10日 (土)

スポーツと体育4

     こんばんわ!

スポーツ弁護士のぶさん です。

元気ですか?

<スポーツと体育 その4>

1.教育について

 スポーツが、

日本では体育教育として発達してきました。

専門家ではありませんが、

ここでは、まず教育について考えておきます。

 教育は、

知識を詰め込んだり、押し込んだりするものではありません。

ぼくの理解では、

学ぶとは

まねる(真似る)ことを基本としつつ、幼い意見で議論などを戦わせながら、より良い、よりましな結論のために、

各自の白いカンバスに、自らそれぞれの色彩を付けてゆくのです。

 技術の習得なども、何度も失敗して得る場合の方が本物の技能になります。
その間、子ども達は、各自の意識の発達、互換性を前提に、行きつ戻りつ、

また、時に全く逆の発想などをして迷ったりしながら、切磋琢磨し、

徐々に、各自の正しいと思う方向、技能の修得などに歩を進めるのです。

2.教師の役目

 教師は、教育現場で、

子ども達のそれら未熟な意見や議論を聞きながら、また下手な技術を見ながら、ときどき触媒的に自身の意見を述べたりアドバイスや指導を行います。

 そのようにして、子ども達が自我を形成したり、意見を獲得したり、技能を修得するのを助けるのです。

 その意味で、

教育は、子ども達に、単に知識を詰め込んだり、上から押し込むというより、子ども達各自の特性を「引き出す」のが、教師の役目であり教育の本質だと思います。

3.明治期の教育

 ところが、

前回までに書いたとおり、明治の初期、わが国はそのような悠長な状態ではなかったのです。

 西欧列強との関係で、子ども達に早く一定の知識や技能などを修得させ、一人前にすることが必須でした。

そして、元気な青年(壮丁)を作ることが目的だったのです。
そのため、子ども達に、結論的部分を促成的に与える、

言葉をきつくいうと、下手に思考させたり、失敗的行動をさせず、結論的なことを、詰め込んだり押し込んでやらせることが教育とされてきたと思われます。

4.明治憲法と教育

 大日本帝国憲法(明治憲法)の下で、教育が極めて大切であるとの認識はありました。

 ところが、明治憲法の条文上「教育」の文言・規定はありませんでした。

 このように、教育について、憲法上の文言を置かず、天皇の勅令などによって家父長的な制度を採ったことも、わが国の上命下服、上意下達、詰め込み型教育に輪をかけたと思われます。
 市民革命不在ともいわれ、一般的に私たち日本人は、発想や行動において、どうしても自発性・自主性・自律性に乏しいといわれます。

 それは、教育におけるこのような沿革や時代背景があったと、ぼくは思います。

次回は、体育(スポーツ)教育との関係について、考えてみましょう。

 

 では

<今日の一曲>

曲というより、単なる雨音です。

疲れている人、時間のある人、癒されたい人に、たっぷり1時間、雨、森の雨音を聴いてください。

本当は時間のない人にこそ、聴いてもらうのが良いはずですが・・・。

<おまけのひとこと>

 今日は梅雨の晴れ間の一日でした。

ぼくは、雨は嫌いではありません。

小さい頃、長靴を履いて、またゴム草履で、どんどん道路の水たまりを渡り歩いていたことを思い出します。

 

 今日も

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました 

また、覗いてください。

2017(平成29)年6月10日  

(NO,25)

スポーツ弁護士のぶさん こと

太陽法律事務所 弁護士辻口信良

 

2017年6月 9日 (金)

スポーツと体育3

    こんにちは!

スポーツ弁護士のぶさん です。

元気ですか?

<スポーツと体育 その3>

1.スポーツと明治政府

(1) 明治政府の対応

 スポーツを楽しみ、面白がっているだけではいけない、

 日本が危ない!

 そこで、明治政府は、

スポーツの本質的部分であり、

最も大切な「楽しい遊び」部分を棚上げにしました。

 そして、スポーツに国家目標をつけ、

体を鍛えると共に精神の修養を行う道具としてスポーツを活かそうとしたのです。

 そこには、日本古来の武道的要素も取り入れながら、

スポーツを学校教育の中の体育として位置づけようとしたのです。

 要するに、政府は教育の重要性は十分認識しており、

スポーツを知育・徳育と並ぶ体育の一部として位置づけ、

神権天皇制を支える「臣民育成」の学校教育の一環として

学校体育=スポーツを推進しました。

 学校での運動会もその頃始まったとされています。

(2) スポーツと体育

 スポーツは、基本が楽しみであり遊びですから、本来好きなときに始め、嫌になったら止めれば良いのです。

ところが、教育の中の体育となるとそうはいきません。

 ぼくが担当する大学のアンケートでも、

高校まで体育の授業が楽しかったという学生が圧倒的に多いのですが、ごく少数、体育が苦手で大嫌いで、仮病など何かと理由を付けて休んだり見学していたという学生もいます。

 運動会の徒競走だけは、晒し者にされるようで絶対に嫌だったと書き込む学生も必ずいます。

 もちろん、一般の学科は苦手だったけれど、

運動会でヒーローになったことが良い思い出だったと言う学生もいます。

 いずれにしても、欧米では楽しむを本来の意味とするスポーツですが、

日本では教育の中に取り込んだため、元々とは違った意味づけ、位置づけが与えられたのです。

2. スポーツの体育化

 ぼくは、これを日本における

スポーツの体育化」と言っています。

 そのことが、実際のスポーツ実務の上でどのように表れてくるのか、また影響しているのかは、

平和学としてのスポーツ法入門(民事法研究会)中の、

「アメリカのスポーツ法と日本の契約社会」

スポーツと弁護士

「プロスポーツ選手の代理人」のところでも説明しています(149p、241p)。

 

今日の一曲    

悲しき雨音

(Rhythm Of The Rain)

 

ザ・カスケーズ

(THE CASCADES) 

 前回(6月7日)のブログで言ったとおり、関西方面も含め梅雨に入ったようです。

そして、雨というと、

高校1年の頃、ドーナツ盤のレコード(と言っても若い人には分かりませんね!)で聴いた、この曲のメロディを思い出します。

 

<おまけのひとこと>

 ぼくは、タイガースファンなのですが、

ジャイアンツ、13失点での13連敗、悪い記録更新中。

残念ですね。

高橋監督も辛いでしょう。

 因みに、プロ野球記録は、1998年のロッテ18連敗、

上には上というか、下には下がというか、

勝負ですから、勝ったり負けたりが良いのですが・・・。

 いずれにしても、他球団のファンに同情されるようではダメですね。

 前回の琵琶湖の大きさ質問で、

3択とすべきところ、3沢と間違っていました。ごめんなさい。

でも、

琵琶湖って大きいと思っていましたし、実際見ると大きいのですが、

滋賀県って、琵琶湖の6倍分もあるんですね。

 今日も

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました 

また、覗いてください。

2017(平成29)年6月9日  

(NO,24)

スポーツ弁護士のぶさん こと

太陽法律事務所 弁護士辻口信良

2017年6月 7日 (水)

スポーツと体育2

    こんにちは!

スポーツ弁護士のぶさん です。

元気です か?

今朝は雨もよう 大阪も梅雨入りですかね?

<スポーツと体育の続きです>

日本へのスポーツ登場

1. スポーツの輸入

 スポーツは、欧米から輸入された概念です。

  時期的には19世紀後半の徳川時代末期から明治初期に、欧米の軍人や商人らと共に入ってきました。

 特に明治政府になってから、招聘された外国人によって、野球(ベースボール)、陸上競技、競泳、ボート、ラグビー、テニス、サッカー(フットボール)などがどんどん入ってきました。

2. 学制

 わが国での

学制発布は1872(明治5)年です。

 教育の重要性を意識した明治政府のこの改革は、迅速で大変立派だったと思います。

 そして、教育機関、とりわけ、大学・高等師範学校・旧制高校など高等教育機関などの若者を中心にスポーツが浸透し始めました。

 珍しいものに好奇心を持ったり憧れるのは若者として当然のことで、しかもスポーツは、やってみれば楽しく面白いのですから、どんどんやらせればとも思いますが、明治政府として、「楽しい遊び」をそのまま遊びとして放置することは出来ませんでした。

 それというのも

早急に近代国家としての基盤を整備しないと、欧米諸国の帝国主義的侵略に蚕食(さんしょく)される可能性も十分あったからです。当時のインドや中国のことを考えれば、そのことは理解できると思います。

富国強兵、殖産興業が急がなければなりませんでした。特に富国強兵のためには、天皇の赤子として元気な成年男子・壮丁は絶対に必要でした。

3. 明治政府の対応

 そこで、明治政府はどうしたのか、すでに、ヒントというか、答えも示していますが、皆さんも考えてください。

 それでは、今日の一曲

琵琶湖周航の歌

このうたができて、今年で100年です。

6題まであるのですが、

きょうは、シモンズで3題目まで、お聞き下さい。

<おまけのひとこと>

琵琶湖は、滋賀県の面積のどのくらいを占めるか知っていますか。

3沢からどうぞ

1/2  1/4  1/6

正解は6分の1でした。

ぼくは、直感的には、1/2位ではないかと思っていたのですが・・・。

 今日も

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました 

また、覗いてください。

2017(平成29)年6月7日  

(NO,23)

スポーツ弁護士のぶさん こと

太陽法律事務所 弁護士辻口信良

2017年6月 5日 (月)

スポーツと体育1

  おはようございます!

大阪は、快晴です!

スポーツ弁護士のぶさん です。

元気ですか?

さて、

これからスポーツと体育の関係について考えてみます。

ところで、

改めてこのブログの目的を書きますが、

4月1日から始めた、このブログは、基本的には、ぼくが2017年1月1日に出版した、

平和学としてのスポーツ法入門(出版社 民事法研究会)を 、

2020年までかけて、みなさん、特に高校生・大学生に、ブログの形に変換して、読んでもらおうとの趣旨です。

もちろん、その時々で、スポーツの話題も一緒に見たり考えたりしながら行きます。

それと、開始2ヶ月を経て、一回あたりの文字数が多すぎると言われたので、もう少し細切れにして説明していきます。

その点もご了承下さい。

 上記の本は、たとえば紀伊國屋などの店頭に並んでいるので、

このスポーツと体育の部分(14p以下)を立ち読みしてもらっても良いし、図書館で借りていただいても良いのです。

もちろん、本を買い、先読みして批判していただくのは、著者としてはもっと歓迎です。

では、スポーツと体育の関係について考えましょう。

スポーツと体育
 スポーツと体育は同じでしょうか、違うのでしょうか。違うとすればどのように違うのでしょうか。
1.スポーツと体育

 スポーツは、デポルテ、に起源を持つ外国の概念ですが、

英語の辞書からこれを考えてみましょう。

(1) スポーツ(sport)
ⅰ an athletic game or outdoor amusement、such as baseball、golf、tennis、swimming、racing、hunting、fishing、etc。
ⅱ amusement
ⅲ fun
ⅳ outdoor exercise or recreation
などとされています。

(2) 体育

 一方、体育は、和英辞典では、

ⅰ Physical training(culture)
ⅱ Physical Education(PE)
 ⅰは体育そのもの、ⅱは教科としての体育です。

2.体育と学校教育
(1) スポーツの定義

ぼくは、スポーツの定義については、

楽しみをもって、

他人と競り合う刺激をもつ、

一定のルールによる、

心身の運動(9p)と考えています。

(2) 体育

体育は、わが国では

健全な身体の発達を促し、運動能力や健康で安全な生活を営む能力を育成し、人間性を豊かにすることを目的とする教育。教科の名称でもある(広辞苑)とされています。

即ち、体育は、

教育の「知育・徳育・体育」のひとつとしての位置付けです。要するに国語・英語・数学・理科・社会などと同じく、小中高での教育の一環としての位置づけられています。

あとで説明しますが、

ここに、日本における

スポーツの体育化という問題があるのです。

今日の一曲  

 

<おまけのひとこと>

  卓球界の若者、世界で頑張ってますね。

 レアル・マドリード、CL(欧州チャンピオンズリーグ)二連覇!

ロナルドがユベントス撃破の2発、5季連続得点王(イギリス・カーディフ)。

  そのイギリス・ロンドンで、またテロ! 7人死亡21人重体。

 今日も

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました 

また、覗いてください。

2017(平成29)年6月5日  

(NO,22)

スポーツ弁護士のぶさん こと

太陽法律事務所 弁護士辻口信良

2017年6月 2日 (金)

ボクシング2

     こんばんわ!

スポーツ弁護士のぶさん です。

元気ですか?

ボクシングの話の続きです。

1.審判への処分

前回記載した村田諒太の試合、

WBAの会長が、審判批判をしたことはお伝えしましたが、更に、エンダム勝利の判定をした2人の審判が、6ヶ月間の資格停止処分になったと報道されています。

もちろん、それで試合の結論が変わるわけではありませんが、会長が再戦を示唆したことと言い、極めて異例の展開になっています。

2.村田選手

村田選手は、次のように言っています。

最悪の結果は、たとえば、前回書いたホームタウン・デシジョンのように「ホントにあれで村田は勝ったのか?」などといわれる勝ち方が、一番いやだった」とい言っています。

そして、今回の結果は、むしろ「自分が世界の一流選手とどこまで戦えるか分かったし、まだノビシロがあると分かった」と、大変なプラス思考です。

ファンとしては、また楽しみが増えた言えるでしょう。

3.拳四朗選手

 6試合の世界戦があったことは前回書きましたが、ぼくは、その中の、WBCライトフライ級で勝利した、拳四朗選手(本名寺地拳四朗 25歳)を応援しているのです。

というのは、以前から彼の父、寺地永(てらじひさし)さんと親しくさせていただいているからです。永さんは、元日本ミドル級王者で元O.P.B.F東洋太平洋ライトヘビー級チャンピオン、京都府城陽市の市議会議員もされていました。そして、城陽市でBMBと言うジムを運営し、関大を卒業した自分の息子拳四朗君をチャンピオンに育てたのです。

これで、5月20日時点で、世界のライトフライ級は、世界の主要4団体

① WBA(世界ボクシング協会) 田口良一

② WBC(世界ボクシング評議会) 拳四朗

③ WBO(世界ボクシング機構) 田中恒成

④ IBF(国際ボクシング連盟) 八重樫東

いずれも、日本人王者になりました。

ところが、残念なことに翌21日、八重樫選手が敗れタイトルを失いました。

4.スポーツとしてのボクシング

 ボクシング、ぼくは、本当は観るのも恐いのですが、始まると、なぜか興奮してしまいます。これは、実は

生き物としての権力欲や闘争本能が関連していると思いますし、その本能を

スポーツとしてのルール化により、適正に昇華する、変形するところに

スポーツ文化、文化としてのスポーツがあるのだと、思います。

格闘技系のスポーツは、

戦う前、ホントは選手自身とても恐い、恐ろしい気持ちになると聞いたことがあります。

ラグビーなどで試合前、みなで大声を出すのは、恐怖心を克服しようとの選手たちの必死の努力と言ってもおかしくありません。

  今日の一曲 

走れコウタロー

 

 

 

 

<おまけのひとこと>

 5月28日は、中央競馬、第84回日本ダービーでした。

東京競馬場2400㍍に3歳馬18頭が出走。

単勝2番人気のレイデオロが優勝。

賞金2億円を獲得。売上は250億円。

入場者数は12万人超。C・ルメール騎手は、3週連続のG1制覇。

すごい人気ですが、でもぼくは、競馬はあまり好きではないんです。

 

 今日も

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました 

また、覗いてください。

2017(平成29)年6月1日  (NO,21)

スポーツ弁護士のぶさん こと

太陽法律事務所 弁護士辻口信良

2017年5月27日 (土)

ボクシング

   こんばんわ!

スポーツ弁護士のぶさん です。

元気ですか?

ホントは、

毎日でも書きたいのですが、時間の管理、調整がうまく行かず、なかなかブログの更新ができません。ごめんんなさい。

でも何とか一週間に一回はガンバります。

もっともっと、短くしたら良いのかな?

今日は、ボクシングの話です。

そうです

格闘技の中でも最も激しく厳しく過酷なスポーツです。

ボクシングといえば体重制

それは「スポーツにおける平等」と関係します。

そして体重制は、「そのスポーツの競技人口を増やす」、「メダル数とコマーシャリズム」などが関係します(平和学としてのスポーツ法入門)。

ボクシングの関係では

25年位前、東京でボクシングジムを開設するにあたり、ボクシング協会に厳しい開設条件を付けられた、元東洋チャンピオンから相談をうけました。それについて、過度な条件は、独占禁止法に違反すると、同僚の森谷昌久弁護士と一緒に公正取引委員会や東京地方裁判所に訴え、開設を勝ち取り、感謝されたことがあります。

そして、

その事件とも関連して、あるボクシング団体の顧問をさせていただくことになり、ボクシングには結構関心があるのです。

そうはいっても、ボクシング、

結局はルールに基づく殴り合い(どつき合い)で、ぼくなんかは、試合前の選手控え室での雰囲気も含め、恐くて仕方ないのですが、でも観てしまいますし、観ると興奮します。

これは実は、

スポーツの平和創造機能

と大いに関係し、

平和学としてのスポーツ法入門の核心的テーマなのです。

今日は、

審判の具体的判定にまつわる問題です。

先週の土曜日・日曜日、

5月20・21日の2日間で、日本で6つもの世界タイトルマッチがありました。最も関心が持たれていた村田諒太選手の試合を中心に書きます。

1.村田諒太選手の経歴

村田選手は1986年1月12日生まれで奈良県出身。2012年ロンドン・オリンピックのミドル級で金メダルを取って2013年プロに転向、以来12戦して全勝(内9KO)、5月20日、WBAでの初の世界戦に挑みました。

 このミドル級クラスは、

日本人選手としては重いクラスになり(72.5㎏まで)、これまで日本人では、1995年の竹原慎二選手が唯一のチャンピオンです。

2.村田諒太vs

  アッサン・エンダム(仏)

実際に会場で、あるいはテレビ(フジテレビ系)で観戦された方も多かったと思います。

結果は、判定2対1のスプリット・デシジョンでエンダムの勝ちとなりました。

3人のジャッジは、勝者エンダム、

115-112(アール審判 カナダ)

116-111(パディージャ審判 パナマ)

110-117(カイズ審判 アメリカ)

敗者村田となりました。

ぼくは、テレビで観ていたのですが、12回の試合終了後、村田が勝ったなと思いました。というのは、4回にはダウンを奪っていましたし、それ以後も、ロープ際やコーナーに追い詰めて、しっかりエンダムにパンチを浴びせていたように思ったからです。

 そして、アナウンサーはもちろん、テレビ解説の元チャンピオンもそう言っていました。

実際も、アメリカの審判は、上記のとおり7点差で村田を勝たせています。村田選手も結果判明後、憮然とした感じでした。

恐らく対戦した当事者の実感として、自分の方が有利、少なくとも自分が相手を追い込んでいたから、負けは無いと思っていたのでしょう。

3.判定の意味

 しかし、結果は村田の判定負け。

解説者によると、パンチの数で考えるか、有効打に焦点を当てて考えるかで評価が分かれたようです。

試合中、解説者も言っていましたし素人のぼくも感じましたが、確かに1・2回は、様子見の感じで、村田選手は殆どパンチを出しませんでした。

また、後半9~12回辺りもエンダムの、ジャブを中心にした手数が多かったのは事実で、これが最後に響いたのです。

今回、審判の結果が2対1で分かれました。

僅差ではなく、上記のとおり、逆の方向に大きな開きがあり、パンチについて、どう評価するかではっきりと分かれた結果です。これは、各回(ラウンド)の点数からも明らかです。

この試合では、審判に対し、各回ごとに、どちらかに有利に採点するように、指示がされていたようです。これを10ポイント・マスト・システムといいます。たとえば、4回のようにダウンがあればはっきりし、4回は3人の審判とも10-8でポイントは村田でした。問題は、激しい打ち合いがあるわけでもなく、甲・乙つけがたいような回の採点をどうするかです。マスト・システムでは、その場合でもどちらかを減点して9点にしなければなりません。

そこで、審判の前記採点姿勢が影響し、トータルの採点表を見ると、それは見事に反映されています。

 アナウンサーや解説者(日本人)は、手数は少なかったけれど、村田の重いパンチが当たっていたのは間違いなく、エンダムは実際にダウンもしましたし、逃げている感じもあり、村田が勝ったと思ったのは、間違いではありません。ぼくもそう思いました。

でも、結果は、勝者エンダム、敗者村田でした。

村田選手は試合後、多少憮然とした態度でしたが、「(自分は)沢山打たれてもダメージはそれほど無かった。相手(エンダム)は、足を使うのがうまかった。」と大変潔いコメントをしていました。

4.ホームタウン・デシジョン

 この言葉を聞かれたことがあると思います。

地元びいきというか、試合の開催地(開催国)に有利な判定や審判がなされたり、なされる傾向があることをいいます。特に採点競技では、地元選手への熱烈な応援や拍手、会場の雰囲気に呑まれたり影響されそうになるのは、審判も人間ですから、あり得ることです。

でも、フェア(公正)さは、スポーツの生命ですから、審判は、そのようはいわば雑音に惑わされないよう、その資格を取得する際、また日頃の研修、自身の努力・修練、最終的にはそのスポーツへの愛情で、アンフェアにならないように律するのです。

特に世界戦ではそれが大切で、それが審判としての矜持です。

 でも、お分かりのように、今回の審判は、これとは全く逆ですので、ここでわざわざホームタウン・デシジョンのことを書く必要はなかったかも知れません。ただ、スポーツ用語として知っていただきたかったのと、今回、逆バージョン的なケースなので、あえて書きました。

ところが、ここで大きな出来事が発生したのです。

5.WBA会長の審判批判

試合直後に、WBAのヒルベルト・ヘスス・メンドサ会長が、自身のツイッターで、審判を厳しく批判したのです。

ごめんなさい。

長くなったので、今度にします。

次回、世界のボクシング団体、残りの5試合の世界戦と、その中でもぼくが応援している拳四朗選手の話、階級(クラス分け)、その関係での減量問題なども書きたいと思います。

さて、

今日の一曲   

ボクシングなので、チャンピオン  アリス

もっとも、

この曲は、敗れてゆくチャンピオンの歌なので、今回はふさわしくないかも知れませんが、ぼくが好きな歌なので、聴いてください。

<おまけのひとこと>

さわやかな五月晴れの一日、湿度も少なく、とても気持ちの良い日でした。

ホントは室内での仕事やブログ書きではなく、外で、地球を満喫したかったですね。

残念!

 今日も

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました 

また、覗いてください。

2017(平成29)年5月27日  (NO,20)

スポーツ弁護士のぶさん こと

太陽法律事務所 弁護士辻口信良

2017年5月19日 (金)

人類の歴史とスポーツの歴史3

  こんばんわ!

スポーツ弁護士のぶさん です。

元気ですか?

前回に続いて、スポーツの歴史3として考えましょう。

1.未開社会と現代社会
 未開社会に於いて、

人々が食糧を獲得するためにどの程度の時間を使っていたかは、前回(5月15日)述べました。

 一方、

ぼくも含む現代人が、生活するために、

一日どの位の時間をかけて仕事をしているのか、またその結果、本当に豊かに暮らしているのかなどを、わが国の報道や数字から、冷静に考えてみましょう。
 残業代ももらえずに働いている正規社員、その正規社員になれない非正規社員、報道される長時間残業での過労死事件、そして過労死は、貧困層に近いとされる、いわゆるブルーカラー的職業だけではなく、電通女子過労死事件などエリート的職業に於いても見られます。

この数年は、かなり減りましたが、1998~2011年の14年間も、年間30,000人以上の自殺者が続いた事実があります(2016年は約22,000人)。

これも今は大幅に減りましたが、最大年間死者17,000人、負傷者も併せると1,000,000人で、文字通り交通「戦争」と言われたこともあります。

これらが豊かな日本の現実です。

 もちろん、現代社会は、食糧を得るだけの生活ではなく、生活リズムや楽しみのパターンなどもさまざまで、あまり自虐的になる必要はないのですが、豊かさの意味を考える必要はあります。

 しかも、世界に目を向けていえば、

常時、地球上のどこかで殺戮・戦闘状態が続いています。そして、テロ行為と、それを巡る出入国での差別問題など、食糧を巡る貧困餓死者も報告されています。

このような現代地球社会を、豊かな社会として、本当に誇ることのできるのでしょうか。

2.豊かさの意味と仮説
(1) 上から目線

 もともと

Primitive Society( プリミティヴ ソサイティ 未開社会)という呼称は、19~20世紀前半の西欧思想の影響であり、選良者意識の濃い言葉です。

今風にいえば、上から目線の用語です。
 しかし、最近では、

差別的響きのこの用語を避け、無文字社会、あるいは自由な時間が十分あるという意味で、初めの豊かな社会と言われることも多いようです。
 さらに、ひるがえって考えると、

(2) ぼくの仮説

 これはぼくの仮説ですが、スポーツの「楽しむ・戯れる」といった本来の意義から考えると、先に引用した熊さんたちのじゃれ合いからも推測できるように、人間社会でなくてもスポーツはあると、ぼくは考えています。

ルールについても、私たちが理解できないだけで、動物たちなりのルールが決められていると思います。

 その意味では、

生き物としてスタートしたはるか昔の時点から、スポーツがあったといっても良いと思います。

弱肉強食の世界、生物として生きるために必死なのはその通りだと思いますが、動物たちに生まれてから死ぬまで楽しむ時間が全くなかったと考えるのは、間違いだと思います。

(3) 他の時代のスポーツ
 それはともかく、

スポーツの歴史については、未開社会のスポーツ以後、

「古代のスポーツ」

「前近代のスポーツ」

「近代のスポーツ」

「後近代のスポーツ」

と続き、それ自体大変面白い分野ですが、ここではこれ以上触れません。

 関心のある方は平和学としてのスポーツ法入門巻末の参考文献、その他、図書館やネットなどで探して、勉強して下さい。

  では今日の一曲

このブログは、できるだけ学生諸君に読んでもらうことを期待しているので、昔(1972年)に流行り、ぼくも歌った

 ガロ学生街の喫茶店  

この頃の歌は、テンポがのんびりしていましたね。

昨年、歌詞の中にあるボブ・ディランが2016年、ノーベル文学賞をもらい、その後の彼の対応なども含め、いろいろと考えさせられました。

 

<おまけのひとこと>

  テニス 八百長で永久追放。

2009年全日本選手権でベスト4、錦織圭とダブルスを組んだこともある三橋淳が、八百長を持ちかけた不正でテニス界から永久追放されました。

 5月16日、ロンドンにあるTIU(テニス・インテグリティ・ユニットTennis Integrity Unit)が発表しました。TIUが日本人を処分したのは初めて、で残念です。

フェア(公正さ)は、スポーツの命です。

 今日も

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました 

また、覗いてください。

2017(平成29)年5月19日  (NO,18)

スポーツ弁護士のぶさん こと

太陽法律事務所 弁護士辻口信良

2017年5月15日 (月)

人類の歴史とスポーツの歴史2

  おはようございます!

スポーツ弁護士のぶさん です。

元気ですか?

それでは、前回に続き

スポーツの歴史2について考えましょう。

スポーツの発生

1.これまでの説明

 では、

スポーツは、いつ頃生まれたのでしょうか。

これまでスポーツの歴史といえば、

ギリシャ古代オリンピック辺りをスタートとして説き起こすのが普通でした。
 しかし

古代史の研究が進むに従い、

古代以前の未開社会(primitive society)

より正確には無文字社会から、スポーツのことを説き起こすようになってきました。

2.四大文明以前のスポーツ
 現在の研究では、

前回(5月14日)述べた、

文字が生まれた四大古代文明の以前に、既にスポーツの原型があったとされています。
 即ち、

今から4000~5000年以上前、

四大古代文明以前のこの時期を、

英語圏では、Primitive Society(プリミティヴ・ソサイテイ)と呼ぶことがあります。

日本語では原始社会、未開社会と訳されます。
 そして、

研究者によるとこの頃、既に、

現在行われているスポーツの原型が、殆どできたとされています。

繰り返しますが、

上記四大文明の前に、既にスポーツの原型が存在したというのです。
 具体的には、

ボールゲーム・格闘技・走・跳・投競技などが行われ、場所的にも陸上は元より水上、空中、雪上・氷上に至るまで、広がりもあったことが、最近の研究でわかってきました。
 ボールゲームとしては、動物の膀胱を膨らませたり、何らかの核を植物の蔓や動物の皮などで巻いたボールを使った遊技がありました。

 また、

現在の相撲やレスリングのような格闘技系の遊びの存在も確認されており、これは人間の話ではありませんが、4月28日に書いた動物熊さんの水遊びの例で容易に分かるでしょう。

 そして、

陸上や水上・水中・氷上だけでなく、現在もオセアニアのペンテコスト島に残る20メートル近くのバンジージャンプに見られるように、空中遊技もあったことが分かってきたのです。

 

3.楽しむ時間の存在

 実証的研究によると実際には、

当時、食料を得るため必要な時間としては、

男女とも、一日せいぜい2~3時間であり、それで、約2300キロカロリーを摂取していたと考えられています。摂取カロリーは現代人とあまり変わらないというのです。

 ちなみに、現在の日本人での必要量は、20代の男性2500キロカロリー、女性2000キロカロリーが標準の摂取カロリーとされています。
  そして、

当時の食生活は、植物性7,動物性3という割合で、基本は菜食主義でした。

 もちろん

私たち日本人を含む現代先進諸国での団欒時のような、いわゆる和・洋・中といった豪華なごちそうが出ていたわけではありません。全く地味で質素だといって良いでしょう。

木の実や野草、時々貝や魚でしょうか。

 また、

電気などはありませんから、日の出から日の入りまでが活動時間です。

でも、

2~3時間引いた残りの時間は、まるまる自由時間だと研究者は言います。

実際は、厳しい気象条件、野生動物などの外敵、疫病などもあったでしょうから、そうのんびり生活していたとも思えませんが、それでも、余暇があり、何らかのルールを作ってスポーツを楽しみ、じゃれ合っていた(スポーツをしていた)ことは十分推測されます。

 
4.講義を受ける学生への質問

 当時、食料を得るために一日何時間ぐらい働いただろうかと質問すると、10時間以上という答えが結構返ってきます。中には15~20時間などと回答する学生もいます。

そして、

学者の上記2~3時間という研究の成果を話すると驚きます。

現代に生きる私たちはどうでしょうか?

さて、この位で、今日の一曲です。

若い人は知らない人が多いでしょう。

中島みゆきの、地上の星です。

 いろいろな星や星座の名前も出てきます。

宇宙の歴史、地球の歴史、これらの悠久さに比べれば、私たちの人生なんて、ホントちっちゃいですね。

 でも、できるだけ頑張りましょう!

<おまけのひとこと ふたこと>

 1兆円

 悠久さからいうと、宇宙の悠久さに比べれば、たかが知れているんですが、

平和学としてのスポーツ法入門の、

コラム、1兆円の話(223p)を、ぜひ読んで欲しいんです。

この質問に対する答えで、あなたがお金持ちになれるか(?)分かるのです。

 あなたが毎日100万円ずつ使うことができる楽しい話です。

 あわてない人は、2020年までのここでの学習でも必ず、何回か触れますから、しばらく、待っていてください。

 

  今日は、沖縄が本土に復帰して45周年。嘉手納基爆音地訴訟の法廷にに20回くらい通ったことは別の機会に書きますが、沖縄県民が差別されていることは、間違いのない事実です。

  京都では本日葵祭(あおいまつり)。京都の三大祭り(祇園・時代)の1つです。晴れで良かったですね。

 今日も

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました 

また、覗いてください。

2017(平成29)年5月15日  

 (NO,17)

スポーツ弁護士のぶさん こと

太陽法律事務所弁護士辻口信良