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2018年4月25日 (水)

鉄人衣笠祥雄 死去

 平和&スポーツあれこれ

   こんばんわ!

お元気ですか!?

大変気持ちのよい季候ですが、

朝夕と昼、

また前日との寒暖の差もあり、

体調を崩している人もいるので

気をつけてください。     

ぼくは、

スポーツの平和創造機能を語り続ける

スポーツ弁護士のぶさん です。

NO.126

平和学としてのスポーツ法入門民事法研究会

関連して

鉄人 衣笠祥雄の死

4月23日、上行結腸ガンで、死去。

鉄人は、100歳までは生きてもらわないと困るのに、

残念です・・・。

偉大な記録など、新聞、テレビなどでいろいろ報道されているので、ぼくは、少し違った角度から書いてみます。

1.恩師中村雅彦先生の話

 <太陽法律事務所の事務所報 1993年8月号より>

 衣笠選手は、京都の平安高校(現在 龍谷大平安)の出身です。その平安高校野球部で衣笠選手を指導した中村雅彦先生に、高校生時代の衣笠選手の話を聞いたことがあります。

中村先生は、既に亡くなられましたが、93年頃、ぼくが京都のKBSラジオ、京都放送でニュース番組をもたせていただいており、野球やスポーツのことで、いろいろと教えていただいていました。

<質問> 平安というと、広島カープの衣笠祥雄選手の母校で、中村先生が教えられたんですね。

<中村> そうです。ですが、私は当時衣笠がこれほどの大選手になるとは思ってもいなかったんです。

背は低かったし足も遅いし平安ではとても14人(当時、ベンチ入りできる人数)の中に入るとは思っていませんでした。

<質問> それが、鉄人と言われるスーパースターになったんですよね?

<中村> はい。しかし、彼はレギュラーでなくても練習は熱心でしたよ。

しかも、だれかに強制されてやるのではなく、自主的に黙々と。

そして私がノックするときなど、必ず隣にいて私の言葉や動作を熱心に観察していました。

<質問> 衣笠選手のことで、特に思い出されることはありますか?

<中村> ノック練習のときね、野球を知っておられる方は分かると思うんだけれど、キャッチャーフライでおしまいなんです。

だからどうしても遅い時間になる。

しかも彼は正捕手ではなかったので、一番最後なんですよね。

すると、フライを上げても暗くて見えなくなる。

ところが衣笠は、バケツの中の石灰をボールにまぶして、

もう一球、もう一球とせがむんです。

私がそれを頭上に打ち上げると、白い石灰だけが飛び散って、練習で黒くなったボールはたちまち闇の中へ。

だから、全然違うところへ必死でボールを追いかけたりするわけです。

それで私が、「明日、必ず明るいときに打ってやるから」と言ってなだめて、練習を終わったことを覚えています。

<質問> いかにも衣笠選手らしい粘りですね。

<中村> そうです。とにかく熱心だった。

それで、2年の秋の大会の途中からだったと思いますが、正捕手になり、その後はずっと彼がマスクをかぶりました。

そして春、夏と甲子園に出ました。

衣笠は彼の本の中で「中村先生は、特に細かなことは教えてくれなかった。基本を学ぶことだけ教わった。

自分がやらねばならないと思った」と書いてくれています。

 そのような高校時代だったようです。

あるいは、生い立ちなどで、人には言えない悩みがあったかもしれません。

2.平和の人 衣笠祥雄

 衣笠選手の、平和に対する思いについて次のようなエピソードがあります。

広島に原爆が投下された8月6日の本拠地ゲームで、

広島の選手がユニホームに

PEACE(平和)

HIROSHIMA 86とあしらってプレーした

ピースナイターがあります。

そのことと関連するのですが、

衣笠選手は、

原爆が落とされた8月6日の午前8時15分、

毎年欠かさずに黙とうをしていると話されたことがあります。

広島に入団した新人時代、市内の至るところで市民から「原爆被害の悲惨さを聞かされた」とも語りました。

そして、現役選手たちに、衣笠選手は

「戦中は、野球がしたかったのに戦地にかり出され、無念の死を遂げた先輩たちも少なくありません。平和の尊さと市民球団の誇りをかみしめることで、一球一球に心がこもるようになる」と平和の大切さを語っていたようです。

3.フルスイングの人 衣笠祥雄

 心根が優しいことのエピソードとしては、

1979年8月1日、巨人西本聖投手のデッドボール事件があります。

衣笠選手は、左肩骨折の重傷を負いながら、翌日の試合に代打出場し、江川投手の速球を豪快に3回空振りして三振になりました。

もちろん、連続試合出場がかかっているので意地でも出場という衣笠選手の心意気ですが、その時の

「1球目はファンのため、2球目は自分のため、3球目は西本君のため」という言葉が、

語り継がれています。

死球をを当てた相手方投手をも思いやる優しさです。

 西本投手は、

その後「衣笠さんだけは厳しく内角を攻めるのをやめよう」と誓ったとのことです。

(その結果)衣笠さんによくホームランを打たれ、事実19本と一番被本塁打の多いのが西本投手なのです。

それについても、内角シュート責めを得意とする西本投手は、「天国から衣笠さんに、お前はプロとして甘かったなと言われるかもしれませんが、こんな人格者に死球を当てたらいけないと勝手に思っていました」と、今日の日刊スポーツ紙に書いています。

4.鉄人衣笠祥雄 公式記録

1947年1月18日生(享年71歳)

1975年、山本浩二選手らと初めてセ・リーグ制覇、

その後79年、80年と連続日本一で、

赤ヘル旋風を巻き起こしました。

◆2215試合連続出場(1位)

◆通算安打数2543本(5位)

◆本塁打504本(7位)

◆ベストナイン3回

◆ゴールデングラブ賞3回

◆オールスター出場13回

◆打点王1回、

◆盗塁王1回(決して足は遅くない!)

◆死球161は歴代3位(因みに1位は清原和博)

◆「江夏豊の21球」での逸話も有名です。

◆1987年国民栄誉賞

◆メジャーリーグで2632試合連続試合出場の記録をもち、2011年の東日本大震災の後、衣笠選手と岩手県大船渡市で野球教室を開いたカル・リプケン選手からは、「愛する野球に臨む覚悟や気持ちについて、衣笠さんと私は同じ考えをもっていた。彼と親友でいられることを誇りに思っていた。」などとするメッセージが届いたとのことです。

                                      <合掌>

それでは、

今日の一曲  

広島カープの応援歌

それ行けカープ

若き鯉たち

平和学としてのスポーツ法入門

(民事法研究会)より

今日は引用は割愛します。

 今日も

最後まで読んでいただき、

本当にありがとうございました 

また、覗(のぞ)いてください。

詳しくは、

 2020年までに、

平和を愛する人必読の

平和学としてのスポーツ法入門

2017年 民事法研究会  2800円+税

を読んでください。

筆者としては、

まずコラムを読んでいただきたいです。

また、

スポーツ基本法のコンメンタール部分は飛ばしていただき、

最後に読んでいただくと良いと思います。

2018(平成30)年4月25日  

        (NO.126)

スポーツ弁護士のぶさん こと

弁護士辻口信良

太陽法律事務所

住所 〒530-0047

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