スポーツと教育関係法 教育基本法
こんばんわ!
秋の連休、
昨日文化の日、
今日は土曜で連休の真ん中、
どこか出かけてますか!?
ぼくは、11月26日の大阪マラソンに向け、
少しジョギングしました。
全くサボっているので、ダメなんです。
さて
スポーツの平和創造機能を語り続ける
スポーツ弁護士のぶさん です。
それでは、
スポーツと教育関係法規の関係について、少し説明します。
スポーツと教育関係法規
なぜ、スポーツ関係法規の中に、教育関係法が入るかといえば、
スポーツの歴史でも説明しましたが、
日本では、「楽しい」「面白い」「ひまつぶし」の本来のスポーツが、学校体育を中心に変化して発展してきたと考えられるからです。
ぼくはこれを、日本における
「スポーツの体育化」と説明しています。
3つの法律を挙げておきます。
具体的には
・教育基本法
・学校教育法
・社会教育法
の3法です。
1.教育基本法
(1) 教育基本法の位置づけ
この法律は、
文字通り教育の「基本法」です。
日本国憲法26条の教育を受ける権利の精神を受け、民主主義社会における教育の重要性の観点から、1947(昭和22)年に、わずか11条の条文として制定されたものです。
人間は、一人で成長するわけではなく、周りから教えをうけ、教育により成長しますから、教育はいわば人間の基本を作る意味で極めて大切です。
教育基本法は、
戦後民主主義社会における教育の目的、方針などを定めました。
但し、教育基本法は、
第一次安倍政権時代の2006年に全面的に改正され、条文も18条に増やされました。
この改正については、賛否両論があります。
ぼくは、
新法が、前文に「公共の精神を貴び」「伝統を承継し」との文言を入れたことに象徴されるように、
個人への縛りを意識させたり、内向き姿勢を強調しており、改正前の方が良かったと思っています。
しかし、
「世界の平和と人類の福祉の向上に貢献」
「個人の尊厳を重んじ」などは、
きちんと明文で残っているので、旧法がそれほど変質したとは考えていません。
文言にある「伝統承継」の文言も、ワールドワイドの国際人に育つために、生まれた日本の伝統もきちんと理解し、良いところは承継し、
場合により国際的に広めることも大切である(本来的ナショナリズム)、との意味だと理解しましょう。
決して偏狭な戦争的ナショナリズムによる排外主義につなげていけません。
(2) 体育(スポーツ)
この法律をスポーツと関連させて考えるのは、以下の理由です。
教育には、「知育」「徳育」「体育」の3要素があります。
そして、特に体育の関係では、まさしくスポーツが関係していると考えられます。
体育とは、
「健全な身体の発達を促し、運動能力や健康で安全な生活を営む能力を育成し、人間性を豊かにすることを目的とする教育」(広辞苑)です。
決して、単純に体を鍛えるだけの意味ではありません。
ぼくは、スポーツの定義を
「楽しみをもって、他人と競り合う刺激をもつ、一定のルールによる、心身の運動」
と考えています(平和学としてのスポーツ法入門 9p)。
体育とスポーツの違いについては、その14p以下を読んでいただきたいのですが、
両者は重なり合いながら、
人間性を豊にする要素は共通しています。
(3) 心身の健康
教育基本法は、
1条(教育の目的)として、
教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた「心身」ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。
と規定しています。
ここでの「心身」の用語は、
先に述べた、ぼくのスポーツの定義での
「心身」と同じ意味です。
この共通性から考えれば、
教育基本法が、体育、即ち、日本的スポーツについても視野に入れた法律であることが理解できます。
次ぎに、2条の教育の目標の箇所でも、
「個人の価値を尊重」し、
「自主・自律の精神を養う」
「自他の敬愛と協力」
「生命を尊び自然・環境保全に寄与する」
「伝統と文化の尊重」
そして
「国際社会の平和と発展に寄与」
などの規定があり、
スポーツとの親近さは明らかです。
即ち、
スポーツと教育は、
目的において共通し、効果、結果においても、十分意義が認められる文化的制度であると理解できます。
(4) 文化としての教育、スポーツ
もう少し別の角度から考えると、
教育基本法では、
前文の「文化的な国家」、
2条5項の「伝統と文化を尊重し」と、
2ヶ所で、「文化」という言葉を使っています。
これは、後で説明するスポーツ基本法の前文が、
「スポーツは、世界共通の人類の文化である」で始まり、
続けて
「心身ともに健康で文化的な生活を営む」と続く表現とも調和し、
教育→体育→スポーツ→文化の流れで説明でき、
教育基本法とスポーツ基本法が、相互に支え合っていると見ることもできます。
(5) 国と地方公共団体
もう一つ注意していただきたいのは、
教育基本法にもスポーツ基本法にも、
それを担ったり運営などするのは、
国だけでなく地方公共団体でもあると、何度も述べられている点です。
この、地方公共団体を国と並べて強調している意味は、
教育やスポーツが、身近な日常生活に根を張って、考えられたり行動すべきことがらだからです。
従って、
教育についてもスポーツについても、
上下関係として、国が地方公共団体に指図するのではなく、
国と地方公共団体が相まって、充実化への責めを担っているといえます。
(6) 世界平和と教育、スポーツ
そして最後に、教育基本法で、
平和という言葉が、
前文「世界の平和と人類の福祉の向上に貢献」、
1条「平和で民主的な国家及び社会の形成者」、
2条5項「国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」と、
3ヶ所も使われていることも重要です。
これは、教育の中の体育(スポーツ)だけではなく、知育、徳育の問題としても論じられているのですが、
ぼくの理解では、
スポーツのもつ「平和創造機能」とも通底し、
リンクしています。
即ち、スポーツ基本法の、
更にいえば憲法の
永久平和主義に繋がる思想として一貫していると考えられます。
今日はこの位にして、
次回、スポーツと学校教育法について説明します。
では、
今日の一曲
秋といえば、
The Autumn Leaves
NAT KING COLE(ナット・キング・コール)
<おまけのひとことふたこと>
アメリカのスポーツ界での差別事件とその対処。
1.メジャーリーグ
メジャーリーグのワールドシリーズ、第3戦で、
ホームランを打たれたドジャースのダルビッシュに、
打ったアストロズのグリエル選手が、両目の部分に指を当てて、
東洋人は、目が細い、だからよく見えないという差別的・侮蔑的仕草を行いました。
この人種差別行為に対し、
コミッショナーは、来季開幕から5試合出場停止の処分を行いました。
ワールドシリーズ中の出場停止処分は避けつつも、きちんと対処したのは、立派ですね。
そのダルビッシュ選手、
シリーズ第7戦でも先発の機会を与えられ、リベンジのチャンスだったんですが、残念ながら打ち込まれて敗戦投手、アストロズが初優勝しました。
快投できれば、カッコ良かったのですが、
残念ながら、ドラマのストーリーのように上手くは行かないですよね。
なお、グリエル選手が、初回ヘルメットを取り、ダルビッシュに謝罪の意思を示した写真が、新聞に載っています。
2.白人至上主義とNFL
トランプ大統領が、白人優位主義者をきちんと批判しないとして、NFL(アメフト)の選手が、試合開始前のアメリカ国歌を歌わない抗議活動が行われています。
そして、この活動が、
確かドイツのブンデスリーグ(サッカー)にも飛び火したとのニュースがありました。
ぼくは、スポーツ選手のこのような連帯、大歓迎です。
差別禁止→間違いなく、
スポーツの平和創造機能に結びついています。
今日も
最後まで読んでいただき、
本当にありがとうございました
また、覗いてください。
詳しくは、
2020年までに、
平和を愛する人必読の
平和学としてのスポーツ法入門
(民事法研究会 2800円+税)
を読んでください。
2017(平成29)年11月4日
(NO,84)
スポーツ弁護士のぶさん こと
太陽法律事務所 弁護士辻口信良
住所 〒530-0047
大阪市北区西天満4-8-2
北ビル本館4階
TEL 06-6361-8888
FAX 06-6361-8889
e-mail
nob@taiyo-law.jp
→友人の辻井一基(つじいかずもと)君のブログで、
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