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2017年7月 1日 (土)

アントニオ猪木と憲法13条 その4

     こんばんわ!

7月になりました。

スポーツの平和創造機能を語り続ける

スポーツ弁護士のぶさん です。

元気です か?

なかなか更新時間は作れないのですが、

最低週一回は守っています。

アントニオ猪木と憲法13条

1.格闘技世界一決定戦

アントニオ猪木は1943年生まれ、

モハメド・アリは1942年生まれです。

アリは、1960年のローマ・オリンピック、ライトヘビー級で金メダルを獲得してプロに転向、

ヘビー級のチャンピオンになりましたが、

黒人差別に対し厳しい批判的言動を繰り返し、

ベトナム戦争での兵役拒否でチャンピオンの座を剥奪されるなどしました。

1976年6月26日、アントニオ猪木(プロレス)とモハメド・アリ(ボクシング)が、異種格闘技の戦い

「格闘技世界一決定戦」を行いました。

この試合、古いファンで観られた人もいるでしょう。

勝者が1000万$(当時のレートで30億円)獲得するなどと言われましたが、

当初、アリがエキジビションの軽いつもりであったこと、

本番直前、タックル、チョップ、投げ技、関節技など禁止という、猪木側に不利なルールになったことなどで、

試合中、立ち技がほとんどなく、

猪木がスライディングでアリを転倒させる作戦

また寝転がってアリの足を蹴る作戦に終始し

3分×15ラウンドで引き分け、直後、大ブーイングを浴びる結果になりました。

2.猪木とアリの友情

 試合後、双方非難を浴びたことはもとより、

猪木は財産面で、

アリは身体面(蹴られた足のケガ)で、

それぞれかなりの痛手を負いました。

 しかし、その結果、逆に二人は結びつき、

アリが、自身の結婚式に猪木を招待したり、

北朝鮮での猪木の試合に、アリが協力するなどし、

1998年の東京ドームでの猪木の引退試合には、パーキンソン病をおして、

アリが来日、猪木に花束を贈るなどの交流がありました。

3.世界格闘技の日

2016年、猪木さんを中心に

6月26日が、「世界格闘技の日」として制定されました。

ぼくもその会には出席しましたが、それは、格闘技世界一戦から、ちょうど40年後でした。

しかし、残念ながら、

アリは、その直前の6月3日に死去し、会には参加できませんでした。

 猪木さんのは、朝鮮半島38度線、

板門店での世界格闘技選手権。

 

今日の一曲  

本州での梅雨は明けていませんが、7月になりました。

みなさんは、もし過去に戻れるとしたら何才に戻りたいですか。

南沙織  17才

ちなみに、彼女は篠山紀信の妻(3児の母)になっています。

<おまけのひとことふたこと>

 JOCに6人の女性理事

毎日更新できれば、もっと早く報告できるのに、ごめんなさい。

JOC(日本オリンピック委員会)は、

6月27日、評議員会で、理事を選任しました。

これまで29人の理事の内、女性は3人、

ところが今回、倍の6人になりました。

齋藤春香(新任 47歳) ソフトボール 

小谷実可子(復帰 50歳) シンクロナイズドスイミング

荒木田裕子(復帰 63歳) バレーボール

橋本聖子(留任 52歳) スケート 

高橋尚子(留任 45歳) 陸上マラソン

山口香(留任 52歳) 柔道

ガンバレニッポン! 

ガンバレ女性理事!

 今日も

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました 

また、覗いてください。

詳しくは、

 2020年までに

平和学としてのスポーツ法入門

(民事法研究会)を読んでください。

2017(平成29)年07月01日  

(NO,33)

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