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2017年7月26日 (水)

参加することに意義がある 円谷幸吉その1

    こんばんわ!

毎日暑い日が続いています。

お元気ですか!?

スポーツの平和創造機能を語り続ける

スポーツ弁護士のぶさん です。

今回と次回、

コラム、スポーツにおける

参加することに意義があるです。

円谷幸吉選手の悲しい遺書です。

「平和学としてのスポーツ法入門」の280pです。

 これは、

前回1964年の東京・オリンピック、マラソンで銅メダルを獲得し、

次の1968年メキシコ・オリンピックでも期待されていた

円谷幸吉選手が自殺したことをテーマに、2004年8月8日に、ぼくが書いたコラムです。

彼の優しい心、切ない辞世の詩には、

何度読んでも涙がにじんできます。
 ぼくにとっても10年以上前のコラムですが、

2020年に向けて、この気持ちは変わらないので載せます。

<コラム本文>

 (2004年)8月13日から29日まで、ギリシャのアテネで夏のオリンピック大会が開催されます。

 アテネは1896年、近代オリンピックが最初に開催された都市で、108年ぶりに故郷に帰ったわけです。
 今大会、日本からは今のところ312人の選手が参加を予定しています。

ところが、いつも大会が迫るにつれて、日本としての獲得メダル目標は合計何個だとか、「日の丸」を背負うからにはメダルは一番良い色をなどと賑やかになります。

前回のシドニーが金5、銀8、銅5だったので、少なくともそれ以上が目標だとか。

 しかし、「日の丸」を背負って勝つことが、それほど大事でしょうか。

確かに勝利者への拍手・賞賛は惜しみなく送りますが、ぼくは、それほど勝利に執着する必要はないと思います。

 ぼくたちがスポーツに感動するのは

勝敗という結果よりも、それに至るまでの努力や、その試合における真剣で堂々としたフェアプレーでの競争・格闘、力を出し尽くした後の姿に、

勝者・敗者を問わず、心を揺さぶられ心を洗われるからです。

 ですから、メダルの数とか色、順位はどうでも良いとはいいませんが、決してスポーツにおいて本質的ではありません。

勝つことではなく参加することに意義があるとの考えは正しいのです。

 以下は、

40年前の1964年の東京オリンピック、マラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉選手が、

次のメキシコ五輪を半年後に控えた1968年1月9日、自衛隊体育学校内の自室で自ら27歳の命を絶った時の遺書です。

遺書の内容は次回。

さてここで、

今日の一曲  

1968年に流行った曲から

小さなスナック

パープルシャドウズ

<おまけのひとことふたこと>

2017年6月23日の新聞朝刊に、国際水連が、

「シンクロナイズドスイミング」の種目名を

「アーティスティックスイミング」に変更することを決めたとの記事が載りました。

この予想については、

東京オリンピックまでには変更になると

「平和学としてのスポーツ法入門」の10pで

ぼくが予言(?)したとおりになりました。

 そこでも述べましたが、

やや機械的なSynchronizedよりも、

創造性を含む芸術性を意味するArtisticのほうがふさわしく、ぼくは賛成です。

 今日も

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました 

また、覗いてください。

詳しくは、

 2020年までに

平和学としてのスポーツ法入門

(民事法研究会)を読んでください。

2017(平成29)年07月26日  

(NO,45)

スポーツ弁護士のぶさん こと

太陽法律事務所 弁護士辻口信良

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