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2017年5月20日 (土)

大阪オリンピック

happy01 heart04 こんばんわ!

スポーツ弁護士のぶさん です。

元気ですか?

戦って敗れた話です。

 2000年頃、

1995年の阪神淡路大震災で元気が無くなった関西を元気にしようと、2008年に大阪で夏のオリンピックを開催しようとの運動がありました。

御存知のとおり、オリンピック開催が決定されるのは、そのオリンピックの7年前です。

 招致活動において大阪は、国内では横浜に快勝したのですが、結局、後出しじゃんけんの北京にさらわれてしまいました。

 その頃数年間、

ぼくは市民応援団として招致活動を応援したのですが、朝日新聞大阪本社の論壇に載せてもらった記事があります。

 当時、

 IOCがお金(買収)問題で大きく揺れ、IOC委員が、黒い輪とか、汚れたIOC貴族達などと大いに叩かれ、そこから再生しようともがいていたときの、ぼくの主張です。

平和学としてのスポーツ法入門(284p)参照。

タイトルは

大阪オリンピックと国際平和主義
1999年(平成11年)3月30日

<論壇> 

 改革への自覚が本当にあるのか。

国際オリンピック委員会(IOC)の買収疑惑をめぐる臨時総会後の、ぼくの感想である。

 それにもかかわらず、2008年の大阪オリンピックの招致を応援するのは

「人間の尊厳を保つことを大切に考える平和な社会の確立を促進する」とのオリンピック憲章の理念に、ひかれるからである。

 曲がりなりにも出直しを誓ったIOCは、

この理念に向けてさらに内部改革を進めるべきだ。外部監査や、委員を国際公務員的に位置づけるなど、民主的な統制を可能にする方策も考えるべきである。
 ところで、オリンピックのこの理念は、現実にはこの通り実践されてきたわけではない。二度の世界大戦による三回の中止を始め、権力者による世論操作や国際政治の道具として利用され、またテロの標的や宗教・民族問題など、道は平坦ではなかった。

 しかし、この百年の近代オリンピックの歴史を見れば、やはりプラスの方がマイナスを補って余りある。これは平和な国際社会創造へ向けての、スポーツの普遍的な力を意味する。それ
 このことが確認できれば、大阪オリンピックの招致理念を何にすべきかは、明らかである。日本国憲法の国際平和主義の理念を、世界に流布するための、絶好のチャンスとしてとらえるのである。
 憲法の前文や九条をどう解釈するか論点は分かれるが、日本国憲法が武器のない平和な国際社会を目指す規範として、世界の憲法の先頭にある点については、異論がないだろう。

 そして

 当然だが、規範は、不断の努力の積み重ねがないと実効性を持たない。つまり、平和な社会を目指すための具体的行動・努力が必要である。

 平和のための方策や運動はいろいろあり、自衛隊については議論のあるところだが、日本政府が不十分ながらも非核三原則を唱え、武器輸出を認めない政策を採ってきたことは評価できる。
 そして今、大阪オリンピックの運動を推進し、スポーツを通じた若者同士の友情や、世界からの多くの訪問客との交流、そこでのボランティア活動を通じて連帯を高め、平和への貢献を実践するのである。
 ぼくが龍谷大学と関西大学で講義している「スポーツ法学」のテーマの一つに、スポーツの持つ闘争性・権力性の問題がある。とりわけ格闘技は、その意識において、ほとんど戦争での戦闘行為と異ならないこともある。

 しかし、両者の決定的違いは、

殺すことを目的としているかどうかである。戦争は、どんなにきれいごとを言っても、人を殺すことが最大の目的だ。
 これに対しスポーツは、確かに基本的なところでは闘争本能と結びついているが、いかなる格闘技でも人を殺すことをルール化してはいない。

 スポーツは

人間がどうしても逃れられない

闘争本能を、ルール化により合理的に昇華させるという機能を持つ。スポーツが文化である理由の一つがここにある。
 スポーツ好きなら分かると思うが、競技で負けた時は悔しい。公式戦などでは悔しくて涙の出ることもある。

 しかし、その涙は、将来必ず

人生の糧になる涙である。

戦争で息子や夫を殺された時の、母や妻の涙と異質であることは明らかだ。

スポーツやオリンピックの「

勝つことではなく参加することに意義があるという言葉は、人生や歴史を長い目でとらえたとき、より輝きを増す。
20世紀は「戦争の世紀」だったが、

21世紀は「平和の世紀」にすべきだというのが皆の考えだろう。

 ぼくたちは、

憲法の平和主義の理念を最大限活用し、

オリンピック運動を通じて、

武器を徐々に放棄してゆく(べき)国際社会の中にあって、名誉ある地位を占めることが可能だと思う。

広島の平和の灯を聖火に合体させるのだ。

 オリンピックのための費用も、

平和への必要経費として、むろん情報公開を前提にして相当額を認められるのは当然である。
 平和という抽象的概念が票にならないのは、国内の選挙だけでなくIOCでも同じだ。少なくとも今回の買収疑惑が表面化するまではそうだったようだ。

 しかし、今、

本来の理念・原則への回帰こそ求められている。それを実現できる最高の位置に、大阪つまり日本がいることを自覚すべきである。

辻口信良 2008年大阪オリンピック!! 応援団団長、弁護士

 

それでは、今日の一曲  fujihappy01heart04 note

1964(昭和39)年の東京オリンピックのときの三波春夫 

東京五輪音頭です。

敗戦(1945年)から、わずか19年での世界最大のスポーツの祭典 happy01happy01heart04

東洋の奇跡と言われるほど、すごいことでした。

戦争がなければ、1940年に東京での開催が決まっていたのです。

今度は、2020年東京・オリンピック・パラリンピックです。

<おまけのひとこと>

happy01heart04  2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向け、政治の世界では、安倍首相が、何とその年までに憲法9条を改正して施行するなどと、とんでもない暴言を吐いています。

 日本国憲法の理念を全く理解しない安倍さんは、別に人間的に悪い人だとは思いませんが、残念だけれど、日本のトップとしては失格だと、ぼくは思います。

職業としての政治家としての理想がありません。

 ただ、

どのような事態になろうとも、スポーツ・オリンピックが平和創造機能を有するとのぼくの確信に、全く揺るぎはありません。

 そんな楽天的で良いのかと言われますが、良いんです。スポーツを通じての友情そして平和は、不変で普遍です。

happy01heart04 今日も

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました happy01heart04happy01

また、覗いてください。

2017(平成29)年5月20日  (NO,19)

スポーツ弁護士のぶさん こと

太陽法律事務所 弁護士辻口信良

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