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2017年4月

2017年4月28日 (金)

スポーツの語源

こんにちは 

元気ですか?

スポーツ弁護士のぶさんです。

少しずつ、

スポーツの平和創造機能

について考えて行きましょう。

特に、高校生・大学生のみなさん

2020年まで、

まだ大分時間がありますから、

一緒にゆっくり行きましょう。

1.スポーツの語源

そもそも、

スポーツという言葉は、

どこから生まれたのでしょうか。

 私たちは、

いつも普通にスポーツと言う言葉を使っており、

それぞれの人が

スポーツにそれぞれのイメージ

をもっていると思いますが、

スポーツの語源

は何でしょうか。

スポーツの語源は、

 

ラテン語のデポルターレ(deportare)

発祥としているとされます。

その元々の意味は、

楽しむ、遊ぶ・はしゃぎ回る・戯れる・暇つぶしをする

の意味です。

 

そしてこの言葉が、

騎士道のイギリスに移り、

14世紀頃、

英語でのディスポート(disport)に変化したとされています。

もちろんそれも

楽しむ・遊ぶ・戯れるの意味ですが、

ぼくは,,

英語の辞書での、簡単な例文でこれを説明します。

The bears were disporting themselves 

 in the water.(研究社英語辞典)

 熊さんたちが、

いかにも楽しそうに水遊びしていたようすがうかがえます。

そして、

その「di」が消えて

スポーツ(sport)になった

ようです。

 ですから、

スポーツは、

遊びを原点とする楽しいもの

まずその点を

最初にしっかり確認しておきましょう。

 本当は、

この歴史的事実も

正確には分かっていないようですが、

スポーツ史を

研究されている学者の先生方によると、

大体そのような経過で生まれ、

スポーツという言葉が現在使われているようです。

大阪は初夏の日射しで、

ぼくは、

4月24日から半袖になっています。

でも、

北海道は、

まだまだ朝夕冷えているんでしょうね。

今日の歌は、北海道をイメージして

小林旭 カラオケ「北へ」です。

今夜ぐらい、歌いに行きたいね。

 スポーツニュース

日本スポーツ振興センター(JSC)が、

ドーピング違反の内部告発のための

通報窓口設置へ。

2020年

東京オリンピック・パラリンピック

に向けての準備です(毎日新聞4月28日)。

ドーピング問題は、

現代スポーツ界の大変重要な課題です。

日本では、

まだ深刻ではありませんが、

昨年の

リオデジャネイロオリンピック・パラリンピックでは、

ロシアを巡り大きな問題になりました。

 ドーピング問題は、

また、いずれ書きますが、

平和学としてのスポーツ法入門 137p~を参照してください。

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました 

また、覗いてください。

2017(平成29)年4月28日

スポーツの平和創造機能を語り続ける

スポーツ弁護士のぶさん こと

太陽法律事務所 弁護士辻口信良

2017年4月27日 (木)

フランスの大統領選挙

こんにちは 

スポーツ弁護士のぶさんです。

今回は、

少し違った角度で書きますね。

1.フランスの大統領選挙

これからの世界平和にも大きく関係する、

フランス大統領選挙のことです。

そしてそれは、

平和な社会でこそスポーツが楽しめる

という意味で、

スポーツ好きも無関心ではいられないのです。

4月23日

フランスで大統領選挙の

第1回投票が行われました。

その結果は、

1位が、中道・独立系で前経済相エマニュエル・マクロン(39歳)

 

2位が、極右政党・国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン党首(48歳)

この2人で、

5月7日、決選投票が行われます。

EUの関係でいうと

マクロンが親EU

ルペンが反EU

の構図です。

2.二つの選挙

 この選挙が関心を持たれているのは、

昨年の

イギリスが、賛成多数でEU離脱を決めたこと、

 

アメリカで、事前の予想を覆して、トランプが大統領に成ったこと

が関係しています。

上記2つの選挙については

政治学での

ポピュリズム(大衆迎合主義)

との関連が盛んに言われました。

そして、

結果的に、

「排外主義」が勝利したことを意味し、

イギリスもアメリカも、内向きの政治

になりつつあります。

ぼくらの学生時代の理想主義的な

インターナショナル

とか、最近の

グローバリズム

といった発想に、

ブレーキがかかっている気がします。

今回、

フランスの決選投票で、

仮にルペンが当選すれば

EUが瓦解してしまう可能性が高まります。

ぼくは、

「平和学としてのスポーツ法入門」のなかで、

上記2つの選挙結果を批判しました(65p 334p)。

それらは、

いずれも悪しき排外主義と結びつくからです。

排外主義は、

ぼくが主張するナショナリズムの三態

① 本来的ナショナリズム

② 競争的ナショナリズム

③ 戦争的ナショナリズム

の内の、③ 戦争的ナショナリズムと通底しているからです。

平和学としてのスポーツ法入門 41p>

3.大統領決選投票の予測

 マスコミは、

決選投票では、

マクロンが勝利すると予測し、

世論調査の結果も、そうなっているようです。

ぼくも、

そうあって欲しいという希望も含め、ルペンが負けると思います。

 ただ、

支持者の熱さからいうと、

ルペン支持者の方が熱烈のようで、

1票の質は、

ルペンの方が濃いようですね。

その意味では、

決選投票日までの両候補や支援者の運動、

その間に起こる事件や報道、

当日の投票率など

により、

結論が異なる可能性もあります。

トランプ大統領誕生の経緯から考えても、

軽々な予断は禁物です。

4.フランスへの信頼

 ぼくは、

政治は詳しくありませんが、

次のように考えています。

フランスは、

イギリスと並んで

近代民主主義のふるさと

ともいえる国です。

中学、高校で、

「マグナ・カルタ」 「名誉革命」 「フランス革命」

などを学びましたよね。

ただ、

イギリス、フランス、アメリカも含め、

現代の先進国といわれる国において、

現在、

格差社会が進行する中で、

経済的に底辺部の層の人たちが

特に

開発途上国からの移民の増加により、

更に経済的に困窮する

という、いらだちや現象

があると思われます。

移民の人たちは、

安い賃金でも積極的に働き、

結果的に、

先進国の底辺部の人たちの生活が

圧迫されるからです。

 ですから、

この問題の根底には、

「平等」

もっと言えば 

「個人の尊重」 「個人の尊厳」

に関する難しい問題があります。

豊かな先進諸国の人たちの「財」を、

貧しい開発途上国の人たちにも配分すると、

当然、

先進諸国の人たちの生活レベルが下がります。

 日本では、

移民問題は深刻な問題になっておらず、

分かりにくいと思いますが、

そんな日本でも、

ヘイトスピーチが問題になっています。

 これらの根底には、

繰り返しますが、

自分の生活レベルを引き下げてまで

国際協力できますか?

という、

生き方に関する、

大変困難な問題があります。

 そのことも含め、

決選投票で

民主主義のふるさとフランスの人民が、

どのような判定をするか、

関心が持たれます。

5.トランプ発言

 どこでのニュースだったか忘れたのですが

アメリカのトランプ大統領が、

ルペンを支持する

趣旨の発言をしたとの記事がありました。

 彼が、

どのような思惑で、また、脈絡の中で、

 

その発言をしたのか分かりませんが、

仮に、

ホントにルペンを応援するつもりで、

その発言をしたとすれば、

それは、はっきり言って逆効果で、

ルペンの不利益になると思います。

 誇り高きフランス人は、

アメリカ大統領トランプの言葉に、

プライドを傷つけられたと考える

とぼくは思うのです。

6.EUの未来・世界の未来

 世界史の中で、

EUをどう位置づけるかが、

本質的な問題です。

というのは、

EUは、

先に書いたこととも重複・関連しますが、

現代の地球上では、恵まれたグループです。

その意味でぼくは、

人類の中でのエリート集団であり、

恵まれた層であるEUが、

今後、世界史での

有意義な組織として生き残れるかは、

先にも書いた

自分の生活レベルを、

引き下げる覚悟まであるのか、

先進国のごく一部の上層部の

富の偏在を是正できるか

との視点が必要になると思います。

そしてそれは、

21世紀における、各自の生き方

世界史の未来

とも関連しています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました 

また、覗いてください。

2017(平成29)年4月27日

スポーツ弁護士のぶさん こと

太陽法律事務所 弁護士辻口信良

今日の一曲は

ラ・マルセイエーズ 

フランスの国歌です。

日本語訳の歌詞つきですので、

歌の意味も、考えてください。

2017年4月23日 (日)

スポーツへの思い

こんにちは 

元気ですか?

スポーツ弁護士のぶさんです。

これまで、

スポーツと暴力というわずらわしい話(でも、とても大切!)に、

何回も付き合ってもらい、

ありがとうございました。

 今日は、

元に戻って、

スポーツの平和創造機能

についての、

ぼくの、

スポーツへの思いの中で、再スタートを切ります。

 そのためには、

以下の設立趣旨を読んでいただく必要があります。

 ぼくが、スポーツ問題を法的に考えようと思い、

大阪の弁護士仲間らと一緒に

「スポーツ問題研究会」を、

作ったときの設立趣旨を、そのまま掲載しますね。

 1991年と、大分時間が経っているのですが、

今でも考えの基本は同じなので、読んでみてください。

  なお、この趣旨は、

ぼくの「平和学としてのスポーツ法入門」(出版社 民事法研究会)

の冒頭(1p)にも掲げています。

自己満足かも知れませんが、

ぼくの、青春時代の記念碑です。

スポーツ問題研究会 設立趣旨

                    スポーツ119番


                               
1.スポーツの必要性

(1) 健康とスポーツ

 人間の財産は、

肉体とそれに宿る精神である。

より速く、より高く、より遠く、より巧く、

これまでできなかったことが、できるようになった時の喜びは、

何人も経験するところである。

肉体を鍛え精神を磨き、心身の健康を維持・増進する。

 スポーツは、人生の楽しみである。

(2) 余暇の利用とスポーツ

 スポーツは、

人間の活力の源泉である。

各個人が切磋琢磨し、競い合うことにより、

コミュニケーションを育てる社交の場である。

人間の寿命の伸長と、労働時間短縮による余暇の増大は、

人生の実質を増大させる。

余生は決して余った時間ではない。

健康に老いることの重要性は、これからますます強調される。

 スポーツは、人生の最良の栄養である。

(3) 世界平和とスポーツ

 ところで、

人間にとって

闘争本能は本質的属性であることは否定できない。

 そして、

人間の歴史は、

この闘争本能のもっとも赤裸々な現象形態である戦争によって、

幾多の生命・身体を犠牲にしてきたのである。

 もとより、

闘争本能だけから戦争が発生したわけではないが、

今後予想される最悪のシナリオは、

核戦争による人間の破滅であり、

このような事態は何としても避けねばならない。

 幸いスポーツは、

世界共通のルール化により、

人間の闘争本能を満足させる側面を有する。

 私たちは、

 

武器をスポーツ用具に持ち替えねばならない。

互いに競い合うことにより生み出される友情と連帯の絆は、

人生の大きな糧である。

 スポーツは、

国籍・民族・人種・言語・主義・思想・宗派等の相違を払拭し、

平和を象徴する。

 すなわち、

スポーツは人間社会の生存・平和の基礎である。

2.スポーツ界における現代的問題点

 このように、

スポーツを愛することは、

人間を、そして平和を愛することであり、

スポーツは、個人的にはもちろん、

社会的にもますます有用なものになりつつある。

 これを反映して

現代の日本におけるスポーツの振興には著しいものがある。

 アマチュアスポーツは、

レジャー時代を象徴して種々に展開され、

 プロスポーツも、

マスコミ媒体の定量を占有し、話題に尽きない。

 しかし、

スポーツについては、

教育・指導の過程から、競技実践の場、

 さらに、

安心してスポーツに親しむための社会制度の構築に至るまで、

さまざまな問題を抱えている。

個別的なルールの問題、

 

義務教育課程での体育授業、

 

高等教育機関での推薦制度、

 

身体的負傷に伴う紛争処理、

 

アマチュアとプロの垣根の問題、

といった個別的問題等、

いくつも大きな問題を残している。

 要するに、

現代の日本においては、

スポーツにまつわる病める領域、

これから検討を要する領域が、厳然として存するのである。

 さらに

これらのスポーツに関する問題を扱う国家機関が、

文部省の一部でよいのか、

スポーツ省を創設すべきではないのか、

と言う国家施策上の問題も存する。

 これらの問題点を踏まえて、

各方面から将来を展望し、

総合的・世界的視点から

スポーツを語り合うことが必要と考える。

3.私たちの当面の課題…スポーツ119番

(1)昨年秋、私たちは、

あるプロスポーツ選手の現実に直面し、

その法的問題を考える機会に巡り合った。

 熟練したスポーツマンが、

その技能を活かし、

プロ選手として活躍するのは自然な発想であり、

それは職業選択の自由でもある。

そして、

それを観る者にとって、

プロフェッショナル同士の最高技能の激突は、

ときには自分がプレーする以上の感激・興奮を伴う。

 しかし、

それら選手の話を聞き、

現在のプロスポーツ選手の置かれている地位が、

法的に不安定であり、

人権擁護の観点から問題ではないかと思ったのである。

 そこで、私たちは、

このような実態をより正確に把握し、

まずプロスポーツ選手の不安定な法的地位を改善し、

彼らが安心して競技に打ち込める条件の整備に努める

必要性を痛感した。

 同時に、

その研究の過程で判明してくる

社会的問題についても焦点をあて、

憧れの職業と呼ぶに相応しい

実質にする必要があると考える。

 また、

同様な事態はアマチュアスポーツ界にも存在している。

(2)こうして私たちは

「スポーツ119番」

と言う考えを提唱すべきだと思うに至った。

 それは、

華やかなスポーツ界の、

ともすれば見落とされがちな、

影の部分に光を当てることを意味する。

 スタープレーヤーの影で

理不尽に泣く選手はいないのか、

 あるいは、

スタープレーヤーと言われたその人が、

スポーツマンであったことを後悔する日々を送っていないか

と言うことである。

国威発揚のためのスポーツの利用、

 

企業による使い捨て、

 

怪我・疾病への無保障、

 

身体酷使による選手生命の断絶等々である。

 そして、

このような形で流される涙が、

一所懸命に闘って敗れた時のスポーツマンの熱い涙と

異質であることは言うまでもない。

 これらは、

人が生まれながらに有する権利、

基本的人権に深く関わる事柄である。

生命の喜びであり、讃歌たるべきスポーツが、

人権を軽視する結果に導かれて良いはずがない。

(3)そこで、私たちは、

スポーツにまつわる人権侵害の諸問題について、

スポーツを愛する

多くの人たちからの問題提起をうけるとともに、

当面スポーツ選手の法的地位の実態を把握する、

そのための研究を行うものとする。

 私たちは、

全人類にとってのスポーツの価値が、

いっそう高まることを念願するものである。

 スポーツを愛する方々の

ご指導とご理解・ご協力・ご支援を

切にお願いする次第である。

1991年 スポーツの秋


                  スポーツ問題研究会

以上のことを掲げて出発したのが、

1991年、今から25年前でした。

 そこから、

・プロ野球古田敦也選手契約代理人問題、

 

 

 

・メジャーリーガー野茂英雄選手・イチロー選手のこと

 

 

 

・サッカー宮本恒靖選手のサポート、

 

 

 

・権利侵害や、平等を巡る、多くの訴訟問題や交渉事件、

 

 

 

・全柔連女子トップ15人の、体罰暴力問題告発事件、

 

 

 

・スポーツ仲裁事件、

 

・パラリンピック陸上選考委員として

 

・ドーピング冤罪事件

 

 

 

・平等を巡る多くの依頼と訴訟・交渉事件、

 

 

 

・アントニオ猪木さんとの北朝鮮行き、

 

 

 

・スポーツ関係事故の処理、

 

 

 

・1964(昭和39)年東京オリンピック、

 

 

 

・円谷幸吉選手の死、

 

 

 

・大阪オリンピック招致問題、

 

 

 

・2020年東京オリンピック・パラリンピック、

 

 

などなど、

いろいろなことについて

行動したり、考えたりしてきました。

 もちろん、

失敗もたくさんあります。

それらを、これから1つ1つとりあげ、

2020年までには、

このブログで、

なぜぼくが

 

スポーツの平和創造機能を言い続けているのか

について、理解してもらおうと思っています。

 それまでに、ぼくの

「平和学としてのスポーツ法入門」

を買い、読んでいただいた上で、

批判も含め、いろいろな議論に参加し、

意見をもらえれば,、

もっとうれしいと考えています。

 ただ、

結構高い本(2800円+税)なので、

本屋で立ち読みしてもらったり、

図書館から借りていただくだけで良いと思います。

平和が嫌いな人は誰もいません。

みんな、平和が大好きなのです。

兵器で金を儲けている死の商人以外は・・・。

 大切なのは、

スポーツを、そしてスポーツを通じて

平和創造機能に目覚めてもらい

世界中に広めてもらうことです。

弁解ばかりで済みませんが、

かなり時間に追われているので、

このブログの更新は週一回くらいです。

時々ブログを覗いてください。

 もし、

もっと回数が増えたら、

よう頑張ってるなと誉めてください。

ごめんなさい。

よろしくお願いします。

それでは、一曲、

今回は、スポーツもの、

シドニーオリンピック、

ゆず

栄光の架け橋です。

シドニーオリンピックについては、

別の機会に書きます。

長い文章を

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2017(平成29)年4月23日

スポーツ弁護士のぶさん こと

太陽法律事務所 弁護士辻口信良

2017年4月22日 (土)

スポーツと暴力5

こんにちは 

スポーツ弁護士のぶさんです。

今日は、スポーツと暴力5です。

暴力が

スポーツの平和創造機能とどう関係しているかは、

2020年までに、ぼちぼちと理解してもらうとして、

今回は、

著名な監督さんから頂いた、簡単な例について考えてもらった後で、

体罰・暴力の禁止 文化としてのスポーツ

につなげていきましょう。

4.指導者の態度 簡単な実例

 野球のある有名な指導者から聞いた話、

次のような例を考えてください。

(1) 野手のエラーがらみで失点したエースが、自軍のところに帰ってきて、

    不満で声を荒げ、チームの雰囲気が険悪になった。

<対応>

① エースと一緒になって、エラーした選手を責める。場合によって体罰を加える。

② エースに、「チームの和が乱れるから、今ここで言うな」、と諫める。

③ エースに、以前ファインプレーで助けてもらった事実の話をして、

   こちらの攻撃に向けて鼓舞する。

④ その他。

2) エースがホームランを打たれて逆転され、

    ダッグアウトに帰ってきたエースが、自身へのいらだちから、

    グラブを思い切りベンチにたたきつけた。

<対応>

① エースが冷静になるのを黙って待つ。

② チームメイトと一緒に、エースを慰め激励する。

③ グラブを拾い上げ、「グラブには責任無いのになあ。グラブが泣いとる。」

  といって、グラブをベンチに置く。

④ その他。

上記2つの例で、

指導者のどの態度が、どれが良いでしょうか。

また、皆さんは、

それぞれ④に、何か良い回答を入れることができますか?

とっさの時、

どう対応できるのか、指導者の力が試されますね。

もっと広く、人間としての力、人間力と言っても良いでしょう。

 優れた指導者は、

本音で、

勝ったら選手のお陰、負けたら監督の責任だといわれます。

ぼくは、

このことから優れた指導者になりたいと思う人に、次のことを提案します。

 本音でなくても良いから、

言葉としては不適切ですが、ウソでも良いから、

勝ったら選手のお陰、負けたら監督の責任といい続けてください。

 監督や指導者は、

言葉の魔術師・手品師とも言えます。

魔術や手品という言葉に抵抗があるかもしれないので、

別の言葉で言い換えますと、

監督や指導者は、

技術やフィジカル面での指導だけでなく、

医学・心理学・教育学・社会学・経営学・政治学など

の豊富な知識と学習、経験をもとに、

言葉や論理や態度で説明し教育する芸術家的側面

も有するのです。

5.体罰・暴力の禁止 文化としてのスポーツ

何度か書きましたが、

2012~2013年に発覚した、大阪桜宮高校全柔連女子

2つの体罰・暴力事件の後、

2013年2月14日

ぼくも所属する

日本スポーツ法学会の理事会は、

緊急アピール

「スポーツから暴力・人権侵害行為を根絶するために」

を、宣言しました。

そこでは、スポーツの世界での

1.暴力・人権侵害行為との決別

 

2.良きガバナンスとコンプライアンス(法令遵守)

を説明し、

以下の提言をしました。

(1) スポーツにかかわる一切の組織・団体は、

    暴力・人権侵害を排除する宣言をする。

(2) スポーツ団体等のガバナンスの強化と、

    関係者の法令遵守を徹底する。

 

(3) スポーツをする児童・生徒とアスリート等を守るために、

    救済を求める者が相談できる窓口を設置する。

 

(4) 公正中立な調査機関として、第三者機関を創設する。

 

(5) 倫理綱領の策定及びスポーツ基本法に、

    暴力の排除等の条項を追加修正する。

 

(6) 指導方法及び指導者養成システムを確立する。

 

その後、

2013年4月25日

◆ 公益財団法人日本体育協会

◆ 公益財団法人日本オリンピック委員会

◆ 公益財団法人日本障害者スポーツ協会

◆ 公益財団法人全国高等学校体育連盟

◆ 公益財団法人日本中学校体育連盟

5つの有力スポーツ団体による

「スポーツ界における暴力行為根絶宣言」

が行われました。

 そこでは、

 

(1) 指導者

 

(2) スポーツを行う者

 

(3) スポーツ団体及び組織

それぞれに対する

暴力行為根絶への啓発を行うこと、

スポーツを全ての人が共有する文化として発展させて行こう

との決意が語られています。

具体的には、それぞれのHPなどで確認してください。

 いずれにしても、

スポーツ界で、

「体罰・暴力は許されない」というのは、

法的にも道義的にも歴史的にも、

全く揺るぎのない公理です。

 ただ、

それでも無くならないところに、

体罰・暴力問題の根深さと困難さがあります。

その理由として、

スポーツには

本来的に、暴力的要素、暴力との親和性があること、

 

人間の闘争本能やサディズム、マゾヒズム

との関連も考える必要があると思います。

 

 他方では、

指導される側も含む勝利への渇望、

勝利至上主義の問題、

短期間で結果を出さなければならない指導者の義務感・使命感・焦燥感、

親も含む周囲の過大な期待、

上記2件は違いますが、態度が悪く横着で生意気な生徒・学生の存在など、

さまざまな要因が考えられます。

 すばらしいと思われる指導者の中には、

指導者という言葉は、上から目線的で、あまり好きではなく、

一緒に目的地に導くとの語源のコーチ(Coach)という言葉の方が良い

という人もいます。

 

 スポーツ基本法は、

スポーツを世界共通の文化として位置づけています(前文冒頭)。

そして、

文化としてのスポーツを普及するための

必須条件として指導者の存在があるです。

これは、

指導、指導者という文言が、

スポーツ基本法わすか35条の条文中、

8つもの条文で使われていることからもうかがえます。

 したがって、

当然、

スポーツ指導者に、公費(国・地方公共団体)を

つぎ込む必要(義務)があります。

その意味では、

スポーツ予算における「指導者」のための費用についても、

大いに検討、議論すべきです。

 

 そして、

各スポーツ競技団体はもちろん、

国や地方公共団体としても、

優れたスポーツ指導者を育成するため、

さまざまな側面から

「指導者を指導するシステム」

の工夫をしなければなりません。

指導者の問題としては、

サッカーにおける指導者のランク付けや、

高校野球界での指導者養成講座「甲子園塾」など、

いろいろな問題がありますが、

2020年までの、また別の機会に話しましょう。

但し、

お急ぎの方は、

ぼくの「平成学としてのスポーツ法入門」(188p~)を読んでください。

 いずれにしても、

前々回も書きましたが、

「学ぶことを止めたら、教えることを止めなければならない」

(サッカーフランス代表監督 ロジェ・ルメール)の言葉

をかみしめたいと思います。

さて、今日の一曲

桜前線も北海道へ渡ったということです。

関西地方では、

散るさくら  残るさくらも  散るさくら

でしょうか。

追いかけるように新緑、若葉の季節です。

ぼくが

いつもカラオケで歌わせてもらう歌です。

杜の都 仙台

青葉城恋唄 さとう宗幸

<スポーツニュース>

 浅田真央 引退

 4月10日、フィギアスケーの浅田真央さん(26歳)が、

自分のブログで引退宣言しました。

 彼女は、

2006年のトリノオリンピックの直前の

グランプリ(GP)ファイナルで優勝したのですが、

「五輪前年の6月30日までに15歳以上」という、

五輪の参加年齢に足りず、

若すぎてオリンピックに出場できないという

「スポーツと平等」の問題を提起しました(前記、ぼくの平和学~本168p)。

 そのトリノ大会では、

荒川静香選手が、見事金メダルを獲得し、イナバウアーという流行語が生まれました。

真央さん(ちゃん)、お疲れさま、ありがとう。

 野美宇 アジア選手権優勝

4月15日 卓球の平野美宇選手(17歳)が、

中国無錫で行われたアジア選手権で、

世界ランク1位、2位を含む、自分より上位の中国3選手を破り、堂々の優勝。

彼女は、世界ランク11位。

すごい、おめでとう。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

スポーツと暴力は一旦終わりにして、

今度はスポーツに関する別の話をしましょう。

2017(平成29)年4月22日

スポーツ弁護士のぶさん こと

太陽法律事務所 弁護士辻口信良

2017年4月21日 (金)

スポーツと暴力4

こんにちは

スポーツ弁護士のぶさんです。

今日は、

スポーツと暴力4です。

前回に続いて今日は、

3.指導者のあるべき姿など

について説明します。

 暴力事件の最初に述べた

「大阪桜宮高校バスケット部のキャプテン自殺事件」

「全柔連の女子トップ15人の体罰・暴力やハラスメント事件」

の指導者にこれを重ねてみたいと思います。 

 ぼくは、

この2つの事件に関係し、

弁護士の中では、一番事情をよく知っている立場ですが、

これら事件の指導者が、ホントの意味のワルだったとは思いません。

周囲の人たちの話では、むしろ好かれるタイプ、

好青年だったともいわれています。感情爆発型とか、

暴力行為が好きだったわけでもないでしょう。

 しかし、

ぼくの結論は、どのような事情があるにせよ、

体罰や暴力に頼るのは、

現代スポーツの指導者としては、負けですし失格です。

 だいたい、

体罰・暴力でスポーツをやらされても楽しくありませんし、

体罰・暴力により選手が萎縮してしまいます。

 そして自分で考えなくなり、

そのスポーツ競技の成績においても、

良くない結果に終わることが、多いいのです。

 まして、

その時点だけでなく、

人生を長い目で見た場合、

社会人として自主性、自律性の乏しい人間として

生涯を終えてしまう

可能性が高いのです。

 では

どのような人が指導者として、不相応(ふさわ)しいのか、

 また、

指導者は、どうあるべきでしょうか。

 現在指導者である人、また、これから指導者になろうとする人は、

まず冷静に、自分の選手時代を総括すべきだと思います。

 すなわち、

選手時代、体罰・暴力について、

自身体験したか、または目撃、少なくともニュースなどで見たり聞いたりしたことはあると思います。

その体罰・暴力の内容・程度、

その行為に至った理由と状況など、

その時のそれぞれ(加害者・被害者・目撃者)の態度、反応などを、

思い出してください。

 また、

その後、その体罰・暴力行為はどのような形で収束したか、

つまり、そのまま終了したのか、公になったのか、

公になったとしたら、誰かが処分はされたのか、どのような処分だったか、

体罰・簿力の結果、

そのチームの結束や練習、試合の結果に

どのような影響があったかを思い出してください。

 そして、

自分が指導者として、同じ状況に立たされた場合、

どのような対応を取っただろうか、

ゆっくり考えてみてください。

 一方で、

それら選手時代の体験を踏まえつつ、

指導者(指導者を目指す者)として、

内外の指導・指導者の実態に関する

調査や学習・研究をする必要があります。

 そして、

それらから得た知見、

同僚や先輩指導者からの教え、

医学的、心理学的、教育学的、社会学的など各観点から、

大いに学ぶ必要があります。

 これら、

教示を受けた各成果や、文献や映像などから学んだこと、

あるいは、先程の自身の経験とも重なりますが、

体罰・暴力行為の経験、

自身が選手時代に先輩として、

また、

指導者としての初期に行った体罰・暴力行為の反省など、

大いに悩み苦労・呻吟(しんぎん)して、

自分の指導者像を確立していく必要があります。

 知り合いに、

指導者としての若い頃、体罰・暴力を行ったことを率直に認められ、

 

当時はそれを余り深刻に考えず、「外的刺激」といっていたなどと、

 

現在では、そのことを大いに反省され、

あくまで、選手に寄り添う指導に徹している、

尊敬できる有名な指導者もいます。

 このように、

指導者は、一部で考えられているような、

現役時代一定の実績があれば、現役を終えたらすぐに出来る(なれる)

といった、

安易で簡単なものではないのです。

そして、

指導するに際して体罰・暴力を否定し、

それ以外の方法で指導するのは、大変難しいことですが、

そこに逆に、スポーツを支える指導者のスポーツの楽しみ方、

やりがい、そして醍醐味があるのではないでしょうか。

次回は、

ある指導者に教わった簡単な事例で、

一緒に考えたいと思います。

さくら前線が、

ようやく、ちょうど津軽海峡を渡っているようです。  

前にも書きましたが、日本は意外に南北に長く広い。

河口恭吾です。

お聞き下さい。

まわりに迷惑をかけないなら、一緒に歌ってください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2017(平成29)年4月21日

スポーツ弁護士のぶさん こと

太陽法律事務所 弁護士辻口信良

2017年4月17日 (月)

スポーツと暴力3

こんにちは 

更新が遅れてすみません。

スポーツと暴力3です。

スポーツ指導者が暴力に訴える理由について、

1.指導における暴力行為の4類型

これは、

 平和学としてのスポーツ法入門

の184Pでも引用させていただきましたが、

望月浩一郎弁護士が、次のような分類をされています。

① 感情爆発型

② 暴力行為好き型

③ 確信犯型

④ 指導方法分からず型

の4類型です。

うまく分類されていると思いますので、使わせていただきます。

① 感情爆発型は、

自分の感情をコントロールできずに暴力を行う人で、

② 暴力行為好き型は、

自分のウップンやストレス解消のための、はけ口として暴力を行使するタイプです。

 この2類型については、

日常生活でもすぐにカッとなって暴力に訴えるタイプの人が多いので、

誰もが、指導者としては失格、ダメとわかります。

問題は、

③ 確信犯型と、④ 指導方法分からず型です。

③ 確信犯型は、

暴力行為が有効な指導方法だと積極的に考えており、

いわゆる「熱い指導者」にありがちです。

 そのような指導者は、

たとえば

「試合前の緊張よりも、オレ(指導者)に殴られる方が怖いと思ったら、

その試合前のプレッシャーや緊張も乗り越えられる、

だから、選手のために鉄拳制裁もいとわないのだ」

などと、弁解します。

 また、

④ 指導方法分からず型も、

「部員を何とか勝たせたい、向上させたいが、他の方法が見つからない、

ただ、バシッと物理的な喝を入れることで、その場がピリッと締まり、

好結果が出たことがある」

といった具合です。

 このように、③④の類型は、

指導者が、積極的、消極的に「暴力行為が有効な指導方法の1つだ」

と考えているのです。

そして、これらの、

場合によっては

「涙を流しながら」叩いてもらった部員の中から、

前回書いた

「人生の恩師として」指導者を讃えたり、

「良い思い出」として暴力を肯定する人が出てきて、

しかも、

体罰・暴力が引き継がれるのです。

2.実際の体罰・暴力の現れ方と、代替性のない人生道

 ただ、

現場での実際上の暴力を考えると、

上記①~④の純粋型というより、

①~④が複合的な形で現れる場合が多い、と思います。

そして、

被害者である本人や居合わせた生徒・学生の記憶に残るのです。

 ところで、

自身への体罰・暴力を肯定し、感謝までしている当人ですが、

冷静に、ひるがえって考えて見ましょう。

そもそも体罰や暴力でなければ、

その当人は、上手くなれなかったのでしょうか。

それ以外の方法では、

反省したり、技術的に上達できなかったのでしょうか。

 ここに、人生における難しさ があります。

というのは、

私たちは、ある時点で、

いろいろな選択肢や可能性を持ちながらも、

結局は、「1本の道を歩むだけ」だからです。

上記の例で言うと、

その部員(当人)は、

もし体罰・暴力を受けなかったら、

どのような現在の彼・彼女になっていたのでしょうか。

 仮に、

体罰・暴力以外の、

たとえば

指導者の言葉や理論による説得、謹慎、練習禁止、退部、

そのほか、

指導者の経験豊富な、指導上の引き出しによる対処

がなされていたととしたら、

もっとすばらしい今(選手)になっていたかも知れず、

 それを具体的に検証することはできないのです。

 

逆に、

練習時や試合での体罰・暴力によって、

指導者を恨んだり、

そのスポーツや部活そのものが嫌いになったり、

愛想を尽かして辞めたり、

最悪死亡した部員もいたはずです。

そして、

その部員(彼・彼女)が、体罰・暴力行為を受けていなかったら、

現在どうなっているか?

残念ながらこれもいわばタラレバの話です。

 これらは、

くり返しになりますが、

結局、「選べる道はたくさんあったが、歩いた道は1つだけ」

という当たり前の話で、残念ながら検証はできません。

ごめんなさい、

時間が無くて、次の

3.指導者のあるべき姿など

4.体罰・暴力の禁止 文化としてのスポーツ

は、

次回にさせて下さい。

ただひとつ、

「学ぶことを止めたら、教えることを止めなければならない」

(サッカーフランス代表監督 ロジェ・ルメール)

の言葉を覚えておいて下さい。

みなさん、

花見には行かれましたか。

残念ながら、ぼくは行けませんでしたが、

関西の桜の名所は、

昨日あたりが満開、あるいは散り初め、落花さかん(さくら吹雪)の、

絶好の花見日和でしたね。

願わくは

花のもとにて

春死なん

その如月の

もちづきの頃

西行法師

引き続き、さくらの歌です。

SAKURA いきものがかり かな?

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2017(平成29)年4月17日(月)

スポーツ弁護士のぶさん こと

太陽法律事務所 弁護士辻口信良

2017年4月 9日 (日)

スポーツと暴力 その2

こんにちは 

2017年4月3日の

スポーツと暴力の続きです。

講義を担当している

龍谷大学関西大学で、いつも行う

体罰・暴力についての<質問>を、

一緒に考えてください、

といいました。

質問> は、こうでした。

スポーツや教育の現場で、

 指導者による懲戒や体罰が問題になることがあります。

 「愛の鞭(むち)」とも呼ばれるこの行為について、

 自身の体験もふまえ、賛成・反対

 それぞれの考えを、述べてください。

大学では、いつも同じような結果になります。

1.約半数が体罰・暴力を受けたことがある。

 2.体罰・暴力を受けた人の半数以上が、

  そのことを非難しない。

◆ 体罰・暴力肯定者

① 自分に非があったので、体罰してくれた先生には感謝している。

 ② 叱咤激励の意味だったと思う。

 ③ 人格形成の場だった。

 ④ 泣きながら先生が叩いてくれ、感動した。

 ⑤ 殴らないと分からないヤツもいる。

 ⑥ ケガをしない程度なら構わない。

 などです。

◆ 体罰・暴力否定者

① 自分(先生)の感情で殴っていた。

 ② 本当に愛情があれば、体罰などしない。

 ③ 言葉で説明できないのは、指導者として失格。

 ④ 言うことを聞かない部員は、練習させなかったり、

      部活を辞めさせればよい。

 ⑤ 今でも恨んでいる。

 ⑥ 叩きやすいヤツを選んで叩いていた。

などです。

 あなたの答えは、どうでしたか?

それぞれの生い立ちや、個人的体験から、

いろいろな意見が出ますが、

指導者の中には、

上手くなってほしいので」「壁を破ってほしかったので

と弁解する人も、かなりいます。

 確かに、

その気持ちは分からないでもありませんが、

叩く(たたく)以外に、方法はなかったのでしょうか?

 人格形成に役立ったと、感謝する学生もいますが、

そのような学生は、

スポーツでの成績が良く、いわゆる成功者

勝ち組として現在がある人

が多いように思います。

 他方で、今も恨んでいる学生もいるのです。

体罰・暴力で

スポーツが嫌いになったり、スポーツを辞めた人もいたし、

現在もいる、と思います。

 ぼくは、現場で指導したことはありません。

そして、

実際に現場で指導した人、している人の話を聞くと、

正直、そんなきれいごとだけで、説明はできません。

 先に述べた二つの事件が起こった後

部活の教師に、「殴ってみいや!

などといって、挑発する生徒もいると聞きました。

 でも、

結論としては、

体罰をするのは、

やはり指導者として未熟、指導者けの負けだと思います。

ぼくの本、平和学としてのスポーツ法入門の、

別のところでも述べていますが、

体罰・暴力なしでの指導、

それを、工夫するのが真のスポーツ指導者です。

 当然のことですが、

スポーツには、

フィジカルな技術だけでなく、

知恵や医学的・心理学的要素も必要であり、

優れた指導者を目指すのであれば、

なおさら、体罰・暴力以外で指導する工夫・研究をすべきですし、

その追求が、

指導者の楽しみであり、醍醐味でもあると思います。

 それと、

スポーツは、楽しむのが基本で、

みんなが、

オリンピックや世界選手権、またプロを

目指したり、一流になれるわけでは、ありませんし、

そもそも、

体罰や暴力で強制されたら、

楽しくありません。

もちろん

法律では、

体罰や暴力は禁止されていて違法です。

★ 学校教育法11条(懲戒と体罰)

・ 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、児童、生徒および学生に懲戒を加えることができる。 ただし、体罰を加えることはできない。

★ 刑法208条(暴行)・204条(傷害)

・ 暴行を加えた者は、2年以下の懲役もしくは30万円以下の罰金

または拘留もしくは科料に処する。

・ 人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役または50万円以下の罰金に処する。

★ 民法709条(不法行為による損害賠償)

・ 故意または過失によって、他人の権利・利益を侵した者は、

損害を賠償する責任を負う。

などです。

次回は、暴力指導者の類型について、

一緒に考えましょう。

はい、少し休憩で

春のシリーズは、

森山直太朗さくらです。

 

おまけのひとこと

お花見は、行かれましたか?

桜の花があまりにキレイで豪華なので、

ふつうは、気付かなかったり、意識もしません。

でも

気を付けて見て下さい。

大地に根を張っている根っこ、太い幹の存在、

ごつごつした桜の木の土台部分

かわいく、華やかな、

さくらの花に似つかわしくない

この本体が、

華やかさの源(みなもと)であることを、

知っておくことは、大切ですよ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました 

※ 明日、書く時間がなさそうなので、

  今日アップしました(ごめんなさい )。

2017(平成29)年4月9日

スポーツ弁護士のぶさんこと

太陽法律事務所 弁護士辻口信良

2017年4月 4日 (火)

スポーツと暴力

お元気ですか!

ロンドンオリンピック・パラリンピックが開催された2012年

の暮れから2013年にかけ、

日本のスポーツ界で、体罰、暴力をめぐり、

2つの、注目される事件が起こり、

スポーツ界だけでなく、

大きな社会問題として、報道・議論されました。

1つは、

大阪市立桜宮高校で、

バスケットボール部のキャプテンが、

顧問教諭の体罰、暴力を苦に、自殺したとされる事件です。

2つめは、

全柔連(全日本柔道連盟)の女子トップ選手15人による、

体罰、暴力やハラスメントに対する告発がなされた事件です。

ぼくは、

この2つの事件の相談を受けましたが、

特に

全柔連の事件では、

太陽法律事務所の同僚岡村英祐弁護士と、

告発代理人になったので、忘れられない事件です。

この、

スポーツにおける体罰、暴力問題は、

大変重要で、しかも、むずかしい問題ですが、

以下の質問に皆さん、どのように答えますか?

質問

スポーツや教育の現場で、

指導者による懲戒や体罰が問題になることがあります。

 「愛の鞭(むち)」  とも呼ばれるこの行為について、

自身の体験もふまえ、賛成・反対

それぞれの考えを、述べてください

ぼくの、時間スケジュールの関係もあり、

このブログの更新は、週1回程度になりそうなので、

次の月曜日(4月10日)までに、上の質問について、考えてみていただけませんか。

いずれにしても、春4月、

学校では新学期での入学・進学、

企業では新入社員(約90万人)が、

スタートする時期、

桜前線は北上中とのことですが、

北海道では、まだ雪が降ることもあるとのこと。

日本は意外に広い!

では、

イルカなごり雪をお聴きください。

いずれにしても、春だ4月だ!

フレッシュな、みなさん!

元気に、ガンバって前へ

最後まで読んでいただき、ありがとうございました

2017(平成29)年4月3日

スポーツ弁護士のぶさんこと弁護士辻口信良

★ なお、このブログの作成は、

おもろいもんみっつけたのブログを運用している、

学生時代からの友人、

辻井一基(つじいかずもと Tsujii Kazumoto)君に、

全面的に指導してもらい、作成しました。

辻井君、ありがとう

 

2017年4月 2日 (日)

スポーツにおける 「負けるが価値」 吉田沙保里の涙 カテゴリー「スポーツ」

こんにちは!

きのう(4月1日)の、甲子園、高校野球決勝

大阪桐蔭のみなさん、おめでとうございました。

履正社のみなさん、残念だったけど、ホントに、よくガンバりました。

また、夏に向けて、ゼロからの出発です。

では

勝負について、きのう言った記事を、以下に書きますね。

スポーツにおける「負けるが価値」 吉田沙保里の涙

ぼくは

大学の最終講義で、

負けるが価値」 という言葉を、受講生に贈っています。

それは、慰めでも、

また、負け惜しみを、弁護するわけでもありません。

スポーツにおける勝敗を、例にとるのが、一番わかりやすいので、話をするのですが、

たとえば

甲子園の、夏の高校野球選手権大会です。

全国、約4000校が出場しますが、

第1回戦で、必ずそのうちの半分が負けます。

そして、順次、半分ずつ負けて、最後に残るのが、優勝校ただ1校。

それ以外の高校は、すべて負けるのです。

いや、優勝校であっても、これからずっと勝ち続けることはありません。

では、

負けたら、それは価値がないのでしょうか?

ぼくは、その答えを、聞きたいと思います。

負けて悔しいのは当然です。

下馬評で、有利といわれていて、負けた場合はもちろん、

互角といわれていた場合、

さらに、不利だといわれていて、負けた場合であっても、

負けたら、やっぱり悔しいはずです。

負けて泣いたこともあったでしょうし、これからもあるでしょう。

でも、間違いなく、

負けて分かること、理解できることもあるのです。

負けたら価値がないのですか?

負けて命を取られ、人生それで終わり、即あの世行きの勝負であれば、

それも理解できます。

しかし

そんなことはありません。

スポーツで、ルールによる、力を尽くしての負け、

よいライバル、よい仲間、

その負けから学ぶことは、たくさんあり、

何より、将来それは財産になります

リオ・オリンピック

絶対王者・吉田沙保里が、決勝戦で負けて、号泣していました。

ぼくは

皮肉でも、嫌みでも、何でもなく、「負けて良かった、これでよい指導者になれる」 と思いました。

負けた彼女を非難する人は誰もいません。

もちろん、国民栄誉賞受賞者、不敗のまま、引退する結論もあったかもしれません。

しかし

彼女は、負けて初めて、具体的に敗者の気持ちが、わかる人間になれました。

そのほうが、これからの人生、彼女によい幸せがめぐってくる、ぼくは、そう思うのです。

負けるが価値」、

良い言葉だと思いますが、どうでしょうか?

ただ

努力もせずに、この言葉を使われると、ぼくとしては、「???」 となるのですが・・・。

以上が、ぼくの

平和学としてのスポーツ法入門」 44ページのコラム記事です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

では、また。

桜の季節にちなみ

福山雅治の「桜坂」を聴いてください。

太陽法律事務所 弁護士辻口信良

2017(平成29)年4月2日

2017年4月 1日 (土)

桜の季節に はじめまして スポーツ弁護士のぶさん

こんにちは、はじめまして。
4月1日、桜の季節になりました。
本日からブログデビューします
弁護士辻口信良(つじぐちのぶよし)といいます。
スポーツ弁護士のぶさんです。
さきほど、
甲子園、春の選抜高校野球で、大阪桐蔭高校が、履正社を、8対3で破り、優勝しました。
大阪桐蔭のみなさん、おめでとう!
大阪の人以外は、しらけた感じでしょうが、
8回に、3対3になったときは、緊張し、面白かったですね
ぼくは、
スポーツ弁護士です。
1月1日(いいひ)に、平和学としてのスポーツ法入門
という本を、民事法研究会から出版しました。
この本は
平和を愛するすべての人に、
2020年までに、読んでもらいたい本です。
「平和」 というと、
わが国では空気のようなものでピンときませんし、
「スポーツ」は、大好きだけれど、
「法」 などといわれると、それだけでパスというのが、みなさんの考えです。
でも、
楽しい本で、
全然むずかしくない本です(そして実は役に立つ 
目指すは
スポーツの平和創造機能です。
これから2020年までに、
高校生・大学生のみなさんを中心に
ゆっくりとこ、の本の意味するところを、一緒に勉強し、理解してもらいます。
かたくるしいあいさつで、すみません 
さっそくですが、
本の中のコラムの1つ
スポーツにおける『負けるが価値』、吉田沙保里の涙
を、明日にでも、紹介しますね(本の44ページに記載)。
では
コブクロも聞いてください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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